♪ 一の谷の 軍(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 ♪
寿永3年(1184年)2月の源氏と平家の一ノ谷の戦いについては皆さんの良く知るところですので、多くは記しませんが、ひとしお哀れさを催させるのが敦盛の最後ではないでしょうか。
平家物語の巻第九敦盛最期によると・・・・・
まだ数え年十七歳の敦盛が、海上を馬に乗って味方の船に向かう途中に、熊谷直実に呼びかけられて岸へと引き返し、直実によって首を掻き切られます。切ったほうの直実は、深い無常観に打たれて出家し、敦盛の菩提を弔うことに自分の半生を捧げた。
この後熊谷次郎直実は法然上人の門徒となり、蓮生(れんしょう / れんせい)となったそうです。
今回はその故事にあやかって、熊谷次郎直実と平敦盛に所縁の草、クマガイソウとコアツモリソウを見ようとして三河の山に入ってきました。
もちろんクマガイソウの方は花には充分に遅くて、いわば出家した蓮生坊の姿でしかありませんでした。
山道 ↓
前日の雨の後、明るい空の下から、筍を横目に見て、木立の下を歩く山道に入っていきます。
カタツムリ ↓
雨の後ですので、カタツムリにとっては「移動日」となっています。
フタリシズカ ↓
フタリシズカの花を今年初めて山の中で見たかもしれません。
カキノハグサ ↓
東三河の山地でよく見るこの草も、未だ花を見るには至りませんでした。
クマガイソウ(熊谷次郎直実→の花の後のですので→さしずめ蓮生坊?) ↓
どの株もみな花が終わってしぼんでいました。
ナベワリ ↓
ナベワリも花が終わり、若い実を垂れ下げています。
アオフタバラン ↓
この小さなランが花を咲かせるのは7月頃になるようです。
ガクウツギ ↓
湿ったところで見ました。
キンラン ↓
キンランは3ヵ所で見ました。
コアツモリソウ(平敦盛ほどには美少年ではありませんが・・・・・) ↓
コアツモリソウの花の時季にはちょうど間に合ったようで、良い姿を見られましたが、実に花が小さくて、人間の指先と比べて、それでもまだ小ぶりですね。
キンセイラン ↓
花芽 ↓
キンセイランも未だ一か月くらい早かったようです。花芽が上がったばかりのようです。
(付録)
セッコク ↓
我が家のセッコクです。この株は40輪ほど花がつくようです。
寿永3年(1184年)2月の源氏と平家の一ノ谷の戦いについては皆さんの良く知るところですので、多くは記しませんが、ひとしお哀れさを催させるのが敦盛の最後ではないでしょうか。
平家物語の巻第九敦盛最期によると・・・・・
まだ数え年十七歳の敦盛が、海上を馬に乗って味方の船に向かう途中に、熊谷直実に呼びかけられて岸へと引き返し、直実によって首を掻き切られます。切ったほうの直実は、深い無常観に打たれて出家し、敦盛の菩提を弔うことに自分の半生を捧げた。
この後熊谷次郎直実は法然上人の門徒となり、蓮生(れんしょう / れんせい)となったそうです。
今回はその故事にあやかって、熊谷次郎直実と平敦盛に所縁の草、クマガイソウとコアツモリソウを見ようとして三河の山に入ってきました。
もちろんクマガイソウの方は花には充分に遅くて、いわば出家した蓮生坊の姿でしかありませんでした。
山道 ↓
前日の雨の後、明るい空の下から、筍を横目に見て、木立の下を歩く山道に入っていきます。
カタツムリ ↓
雨の後ですので、カタツムリにとっては「移動日」となっています。
フタリシズカ ↓
フタリシズカの花を今年初めて山の中で見たかもしれません。
カキノハグサ ↓
東三河の山地でよく見るこの草も、未だ花を見るには至りませんでした。
クマガイソウ(熊谷次郎直実→の花の後のですので→さしずめ蓮生坊?) ↓
どの株もみな花が終わってしぼんでいました。
ナベワリ ↓
ナベワリも花が終わり、若い実を垂れ下げています。
アオフタバラン ↓
この小さなランが花を咲かせるのは7月頃になるようです。
ガクウツギ ↓
湿ったところで見ました。
キンラン ↓
キンランは3ヵ所で見ました。
コアツモリソウ(平敦盛ほどには美少年ではありませんが・・・・・) ↓
コアツモリソウの花の時季にはちょうど間に合ったようで、良い姿を見られましたが、実に花が小さくて、人間の指先と比べて、それでもまだ小ぶりですね。
キンセイラン ↓
花芽 ↓
キンセイランも未だ一か月くらい早かったようです。花芽が上がったばかりのようです。
(付録)
セッコク ↓
我が家のセッコクです。この株は40輪ほど花がつくようです。
もう800年以上も前のことですから、熊谷次郎直実と法然上人のかかわりについても、のちの脚色などもあることでしょうし、どれだけ真実があるのかはっきりとは分からなくなっています。
小生なりに考えてみると、法然さんに会うまでの、(法然さんよりも8歳年下の)熊谷直実はかなり血気盛んであり、・・・所領の裁定につき源頼朝に不満を持ち、それがために所領の一部を召し上げられるに及んで、熊谷郷→鎌倉→伊豆→上洛して法然上人に師事し、蓮生と名乗る念仏者になったようです。
上のいきさつからすると法然さんの弟子の親鸞さんと熊谷直実の接点は不明です。
師匠の法然さんも強面の熊谷直実には、当初はかなり気を使ったのではないでしょうか。
埼玉県の熊谷市では熊谷次郎直実は郷土の英雄として、JR熊谷駅北口に騎馬武者姿の銅像が建てられています。
17歳で源氏に討たれる覚悟を持っていた。熊谷次郎も感心し僧になったのはしていましたが、法然の弟子でしたか。
親鸞の兄弟弟子ですね。
コアツモリソウも寂があり、そこはかとなく気品を感じます。
コアツモリソウという種小名の中に”アツモリソウ”という字句が入りますから、あの花を連想し、もう少しいい気い花を期待しますが、実物は虫眼鏡的な大きさでしかありません。
そんなことですので、どうしても見落としてしまいがちです。
今回も花を見過ごしてしまい、行ったり来たりをしてしまいました。
キンセイランについては小生も未だ花を見たことはないのです。
ですから小生的には、こちらの方が余程希少種になりますね。
クマガイソウはもう一仕事終わった後ですので、こういう姿も仕方ありませんね。
28日のクマガイソウはどうやら大群落だったようで、さぞかし、壮観でしたでしょうね。
鹿にやられなくてよかったですね。
コアツモリソウってこんなに小さいのですか(吃驚)。でも、花姿はアツモリソウと同じですね。
キンセイランに花芽が付いているのは待ち遠しいですね。まだ実物を見た事がありませんから、アップを楽しみにしています。
クマガイソウの花後は痛々しく感じます。
因みに、28日にクマガイソウを見に行ってきましたが、大きな群落は200株以上咲いており、数年前に見つけた葉っぱに初めて花が咲いていました。
小生の故郷が熊谷市ですので、この平家物語のくだりは良く聞かされたものでした。
しかし、直実が法然上人と直接の接触があったということはずっと後になって知ったことでした。
クマガイソウもアツモリソウも今となっては超レアな植物となりましたね。
雨上がりの土曜日に山の神様と再訪しました。今度は花にタイミングが合いました。
その代わりクマガイソウはもう終わってはいました。
コアツモリソウではすべての花が撮影者に対して、そっぽを向いていました。
今回は自分のもの以外に、もう二本手がありましたので、なんとか撮影に都合の良い角度を作ることが出来ました。
カメラにもいろいろ便利な機能があるのですね。
苦労せずに画角を調整出来たら、それは有り難いことですね。
コアツモリソウがほとんど咲きましたか?
小さいので撮影に苦労しますね。
私は前回、適当にレンズを向けたら見事に横顔でした。チルト式液晶パネルが欲しいですね。