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rose is a rose is a rose is a rose








夫が買ってきた薔薇、週末の娘のパーティーに使おう...
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van eyck and the pre-raphaelites




ナショナル・ギャラリーで開催中のReflections, Van Eyck and the Pre-Raphaelitesへ。

ヤン・ヴァン・エイクといえば、ブルージュの誇る芸術家だ。

彼の描いた超有名な絵画「アルノルフィーニ夫妻」蘭: Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw、英: The Arnolfini Portrait(写真すぐ右下)は、1843年にナショナル・ギャラリーに600ポンドで購入された。

当時の収蔵品中最も古い時代の作品(1434年)として一般公開されたのが、ラファエル前派発生のそもそものきっかけになったのだという。

知らなかった。

ちなみにナショナル・ギャラリー開館は1824年で、収蔵品第一号はマニエリスム期のセバスティアーノ・デル・ピオンボの「ラザロの蘇生」(1519年)。



ナショナル・ギャラリーに常設してあるヴァン・エイクのこの絵にはたいへん親しみがあり、今回もじっくり鑑賞して細部にいちいち感動してみた。

普段の展示方法よりも少し低めで照明も暗めなのではないかと思った。気のせいかもしれない。


解説を聞いて驚いたのは、わたしはこの絵の「寓意性」、夫妻の足元の犬から、窓際のオレンジ、壁のミニ箒にまで、すべて寓意があるという解釈に大いに馴染んでいたのだったが(日本語版ウィキペディアにもまだそう記してある)、最新の研究ではこの絵の文物に象徴性は薄く、どちらかといえば単なる風俗画ではないかと定義しなおされているとのこと。

また、婚約や婚姻の絵だと言われることもあるが、それもかなり見直されているらしい。

おもしろい。


それはそうと、ナショナル・ギャラリーでこの作品が公開された当時、ルネサンスの(つまりラファエロより後の)極端に美化された大げさなシーンや登場人物(「ラザロの蘇生」のような。写真すぐ左下)に慣れていた観衆は、驚きをもってこれを迎えたそうだ。

この自然に対する正直さ! 真摯さ! と。


この時期まで、ルネサンス以前の絵画は「リアルで生々しすぎて醜い」と英国観衆に全く好まれなかった事実は、ナショナル・ギャラリーのStrange Beauty展でくわしく取り上げられていたのが記憶に新しい。


「アルノルフィーニ夫妻像」は一部の青年芸術家たちに「ルネサンス期の絵画は洗練されてはいるが、真実味に欠ける」と言わせ、ヴァン・エイクに還り、それを手本にすることによってラファエル前派を立ち上げるのである。

彼らはヴァン・エイクの自然にたいする忠実さ、色の鮮やかさ、寓意(この時はヴァン・エイクの絵が寓意まみれだと考えられていたため)、背面の鏡を用いる技巧などを取り入れ、自分たちの作品にreflectionする。


ラファエロ前派の詳しい本を読んだことがないのでこれから勉強することになるが(笑)、この時期の英国の青年芸術家たちは、植民地経営と産業革命が発達する世の中で、英国人のこころが失われていくような気がし、大陸由来ではない、自分たちだけの芸術流派を作りたいと願ったのかもしれない。

自然に対する真摯さ...と、その気持ちはわかるけれども、わたしに言わせるなら、ラファエロ前派の絵は自然に忠実どころか、技巧に走りすぎ、誇張しすぎ、意味込めすぎ、力みすぎ! で全然ジャンルが違うように見える。

はい、ラファエロ前派の絵は、若いころ魅了されたロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」以外、わたしはあまり良いとは思わないのです...


展示は前半はおもしろかった!

展示方法はラファエル前派が受けた影響を、あの作品にもこの作品にもと細かく観察していく。

展覧会中に言及はなかったが、アルノルフィーニ夫妻像の影響と言われてすぐに思い出したのが、ジョン・エヴァレット・ミレイのThe Return of the Dove to the Ark「方舟への鳩の帰還」(写真右)だった。


最後の方になると、鏡の描写のある絵画は全部ヴァン・エイクの影響を受けたか孫引きで受けたかというコジツケ(ではないかもしれないがどっちにしても退屈)になってしまったように感じ...シロウトだからそう感じるのかもしれないが、観覧者の大部分はシロウトだろう。

帰り道に立ち寄ったソフィテルの壁に円形鏡が並んでかかっているのを「ああ、これもヴァン・エイクの影響ですね」と笑ってしまいたくるほどだった。

なにごともほどほどに。

(自分にも言い聞かせている。今日もめっちゃ長いだけやん...)
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霧の朝








近頃は朝よく牛乳を流したような霧がかかる。

運転には気を使うが、
だんだん霧が薄れていく様子を室内から眺めているのは好きだ。

たいていステキな晴れになるサイン。
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サバー送りとガイ・フォークスの夜




今年の9月頃だったか、朝日新聞デジタル版で「サバー送り」という虫送り行事のことを知った。

一度ぜひこの行事を目撃、いや、参加してみたい。

モエはこういう呪術的儀礼が大好きなのだ。


人間社会にとって都合の悪いもの、例えば災害や、疫病、不作などの禍を、ある対象・形代(古くは生身の人間だっただろうし、動物、人形など)に全部おっかぶせ、それを焼いたり、海に流したりすることで祓う...

この呪術的儀礼は世界各国で見られる。

ケルトのウィッカーマンもその一種だと思うのだがどうだろう。


昨夜11月5日は英国では、毎年恒例ガイ・フォークスの日だった。

11月も5日になると日が暮れるのが恐ろしいほど早くなる。
前日、前々日あたりから人々はそのウサを晴らすかようにあちこちで花火を打ち上げ始める。

わたしの住んでいる町でも、5日は夕方からメイン・ストリートが通行止になり、グリーン(町の広場)に移動遊園地が立ち、巨大な焚き火が組まれる。
日が暮れると町の住民はもちろん、周りの町や村から人々が松明を手に集まり、ガイ・フォークスに見立てた人形を引き回して焚き火まで行列、

すべての悪、すべての罪、すべての禍を、国王暗殺を企てたこの男を形代に着せ、最後に焼くのである。


うむ、キリストも出番がなかろう。


合理的だ。野生の思考。
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the wind




ロイヤル・バレエの三本立て

The Illustrated 'Farewell'
The Wind
Untouchable


のリハーサルを見に行った。

The Windは1920年代の、わたしですらも知っている無声映画をベースに作られた新作バレエだ。

振付師のTwyla Tharp自身、この無声映画を見て「これってバレエ!」と思ったのが制作のきっかけだとインタビューに答えていて、ああなるほどーと楽しみにしていたのだ。

舞台上でも、開拓時代のテキサスを吹きすさぶ、執拗な風が再現されて吹き荒れ...

寒かった(笑)。


主人公の都会育ちの女性が、止まないテキサスの風に神経を蝕まれていく様子をもっと詳しく描いてほしい、それがぜひ見てみたいと思い、30分と短いこの作品、できたらもう少し引き伸ばせないだろうか...ナタリア・オシポヴァ(Natalia Osipova)が美しかった。ずっと踊りを見ていたかった。

自然現象の風を可視化した「白い野生の馬」、エドワード・ワトソン(Edward Watson)が最高によかった。彼はこの世ならぬ異形のもの(アリスのうさぎとか)を演じたら本当にうまい。

The Illustrated Farewellはただただ眼福であった。
西岡文彦さんが、「謎解きモナ・リザ」の中で、「とりたてて違和感を覚えないということそのものが、完成度の高さを物語っている」と書いているが、まさにそんな作品。ハイドンの音楽を含め何も考えずに楽しめる。


これからお客さんなので今日はこのへんで...
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