goo

2つのインフィニティ、あるいは「もし退屈なら」




ニッパチ2月のパリは普段より静かだった。

例えば、今まで行列がいやで入館を3回も見送って来たオランジェリーはガラガラだった。




インフィニティを象ったモネの部屋に、インフィニティに肥満したトゥイードゥルディとトゥイードゥルダムのような初老の男性が二人並んで腰掛けていた。

お揃いのサスペンダーが丸々した背中ではじけ飛ばんほど張りつめていて、わたしは彼らの後ろ姿の見事さ(背景はモネの睡蓮)から目が離せなくなった。

彼らをこの部屋でぜひ撮影したいという衝動に駆られ、大作戦を夫に話したら、失礼この上ない人ですね全く!と、たしなめられた。
夫が一緒でよかったと思う。
素晴らしくアートな光景だったのだが...




学芸員の男性が、ヒマなのだろう、Pギョームのコレクションについて熱心に説明してくれた。

もし神が天国で退屈しているなら、窓を開けてパリの大通りを眺めるだろう(ハイネ)

どうかね、学芸員氏、あなたもオランジェリーの窓からパリを眺めてみては。


だって化粧室の前までも恭しく連れて行ってくれたんだもん(笑)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

花器




もう20年くらい前のことだが、大手家電メーカーが新製品のカタログの撮影のために、実家の玄関や廊下を使ったことがあった。
玄関中央にガラスのコンソールテーブルが搬入されて、その上にシルバーのテレビが置かれた光景を今でもよく覚えている。


最後は念入りな掃除で終了を迎え、アシスタント嬢の1人が撮影に使った蘭の花を、母がコレクションしていたガレの小さな暁色の花瓶にさし(もちろん水入り)、はにかんだ笑顔を満面に浮かべて、母に手渡したのである。



「ああ、そうね、本来はこうやって使うのよね」

と、母は言って笑った。

お嬢さんはいったい何のことやら分からない様子だった。


わたしは一瞬「ものを知らないということは怖いもの知らずということか!」と思ったが、同時に自分にパラダイムシフトが起こったことにも気がついた。


うちではガレのガラスは窓際に並べて眺めるものであって、入れものではないという合意ができあがっていた。
でも、ホンマは花瓶やんか。水入れて花入れて使ってこそ、やんか。
高価な食器を集めるだけ集めて決して日常に使ったりしない人や、かばんにレインコートを着せる人を嘲笑していたくせに。


その後、わたしはガレの花瓶に花を入れてみた。ガレはわたしの趣味じゃなかったので今までの腹いせもあって、働け!働かんかあー!と念じながら(笑)。
水を入れたら漏れるのではないか、と底を何度確認したほど、わたしの中ではガレの花瓶は花瓶ではなかったのだ。



あの光の魔法のような花瓶の数々は震災でほとんどが土に帰ってしまった。

ひとつくらい譲り受けて、日常の花を豪快に生けたかったものだ、と残念に思う。




イギリスで傘立てとして使われていた壷が清朝かなんかのものだった、という記事を読んで思い出したことなど、でした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

聖ヴァレンタインの日




「...で、ずっと仕事が忙しくて、ヴァレンタインのチョコレートを買う暇もなくて、当日近所のスーパーに行ったら子どものチョコみたいなのしか残ってなかったのよ。で、しょうがないからそれを買って帰ったけど、旦那は全然喜ばなかったわ(笑)。」

日本の友人のハナシだ。

彼女は常に、物事にとらわれない発想をしたい、と口癖のように言っているのだが。


その点を指摘しつつ、
「別にチョコレートじゃなくても、ヴァレンタインのメッセージを託せるものならなんでもええわけでしょ?
別にチョコレートじやなくても、春やし、鯛の刺身とか、シャンパンでもええやないですか。」とわたしは言う。

「でも世間的にチョコレートだし、おじさんとしては定番の品物をもらって獲得数を数えて、それでこそうれしいものなのよ。
来年は早くから準備して、いろいろ食べくらべてみて、一番おいしい高級チョコをあげるつもり。
ベルギーチョコも最近は人気の座を奪われてたみたいよ~。」

おじさんがうれしいのだか、彼女がうれしいのだか、よくわからん。きっとみんな幸せなんだねー。


それにしても彼女の言う通りだと思う。

この、世間がやっているから自分も便乗してうれしい、というのは人類に共通のことなんでしょうな。祭りの起源か。
あるいは子どもが、○○が欲しい。みんな持ってるもん、というような「他人の欲望」だろうか?


ここに最後の文として書くとちぐはぐなようだが、友人とのこんなやり取りから、人間は誰もが誰かに気にかけてもらえるということが絶対に必要なのである、としみじみ思った。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

橋の上








一体いつ頃の写真なのか見当もつかないが(おそらく軽く100年前)、ブルージュの街角、義理父がフォトショップを入れたバージョンである。


このような往年のブルージュの写真が他にも33枚あり、どれを選ぶか迷った。
マルクトと鐘楼、ブルグ広場の市庁舎、運河...

結局、ウチを出て角を曲がったところにあるこの橋の写真を取り上げることにした。どれほど近いかと言うと、この橋の上でわたしを呼べば聞こえるほどである。

今も昔も全く変わらぬ風景...こういうのを見ると、ブルージュを大切に未来に残そう、と思う。


天気がよくなったら同じアングルで写真を撮るつもりだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

atelier




リクエストにお答えして、先日のle merveilleuxに引き続き、わたしがよく利用するバアやティールームを紹介させて頂きます。

新カテゴリーを作ったら、ブルージュを訪問なさる方のお役に立てるかもしれませんね...



ケンピンスキホテルのバアatelier
ウチからゆるゆる歩いて2分、毎日曜日の午後は必ずお茶に行き、そして夫の時間が合えば、ほとんど隔日で一杯飲みに行く場所。


ホテルのバアなので年中無休(とは言え、開館一年目の去年は2月一杯ホテルごと閉館になり唖然とした。今年は2月も営業するのだそうだ)、

18時にティールームが一斉に閉まるブルージュにあって夜中まで紅茶が飲める、

インテリアは変えた方がいいと思うが(失礼)、広々としていて居心地良く、長居ができる、


ここが自宅だったらいいのに、とよく妄想する。


地元民が好むパンナクック(クレープ)は美味。
お酒は好きだが、アテ(おつまみのこと)がないと飲めないわたしがバアメニューで好きなのが、スモークサーモンやグレイシュリンプで構成されたシーフードのクラブハウスサンドウィッチ。
他に、海老のクロケットやカルボナード等の郷土料理もある。


犬を連れた日本人がいたら、それはきっとわたしです。


夏はテラス席が静かで最高だ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »