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Brugge Style
聖ヴァレンタインの日
「...で、ずっと仕事が忙しくて、ヴァレンタインのチョコレートを買う暇もなくて、当日近所のスーパーに行ったら子どものチョコみたいなのしか残ってなかったのよ。で、しょうがないからそれを買って帰ったけど、旦那は全然喜ばなかったわ(笑)。」
日本の友人のハナシだ。
彼女は常に、物事にとらわれない発想をしたい、と口癖のように言っているのだが。
その点を指摘しつつ、
「別にチョコレートじゃなくても、ヴァレンタインのメッセージを託せるものならなんでもええわけでしょ?
別にチョコレートじやなくても、春やし、鯛の刺身とか、シャンパンでもええやないですか。」とわたしは言う。
「でも世間的にチョコレートだし、おじさんとしては定番の品物をもらって獲得数を数えて、それでこそうれしいものなのよ。
来年は早くから準備して、いろいろ食べくらべてみて、一番おいしい高級チョコをあげるつもり。
ベルギーチョコも最近は人気の座を奪われてたみたいよ~。」
おじさんがうれしいのだか、彼女がうれしいのだか、よくわからん。きっとみんな幸せなんだねー。
それにしても彼女の言う通りだと思う。
この、世間がやっているから自分も便乗してうれしい、というのは人類に共通のことなんでしょうな。祭りの起源か。
あるいは子どもが、○○が欲しい。みんな持ってるもん、というような「他人の欲望」だろうか?
ここに最後の文として書くとちぐはぐなようだが、友人とのこんなやり取りから、人間は誰もが誰かに気にかけてもらえるということが絶対に必要なのである、としみじみ思った。
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