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矢鱈と「美」に関する記事が多いのは、わたしがそれとは遠いところにいるからだ。
「美」人は「美」について語ったりしないものだ。
幸せな人が幸せについて語ったり、金持ちが金について語ったりしないのと同様。
何かを満足に持っているということは、つまりそれについていつも考えていなくてもいいということだから。



いつものことながら、なぜこんなくどい前置きをしているかと言うと、「美ス○ーリー」というくどい女性誌を講読しているのだが、今日届いた2月号(新年に出たもの)の巻頭がショッキングだったのだ。
40歳前後の大変に美しいモデルさんが5人、着物姿で登場し、今年目指す「美」についての熱い意気込みを書き初めスタイルで公表...


これがまたすごいんです...


編集部はモデルさんたちを貶めようとしているのだろうか?このモデルさんたちのこと、嫌いなん?という書の出来映えなのである。
わたしがもし編集者で、平生、モデルさんのことがジェラシーゆえに気に食わないとしたら、この書き初めを喜々として目出たい新年号に載せるだろうな(笑)。

まあ、悪筆であっても仕事は仕事、要求されたことはなんでもします、という見上げたプロ意識の吐露は素晴らしいと言わざるをえないのだが、40の大人になって、この程度の筆跡(本当に小学一年生、初めての書道!といった感じです)では、美女のご愛嬌とも言えないのではないか...
実際、子どもに持たせる学校への一筆とか、ビジネス関係への挨拶とか、この字で書いてるんですよね...それに成人前に家庭ではなにも言われなかったのだろうか...食事の仕方などと同じレベルで...ええ、大きなお世話ですね...

....てんてんてんって困惑を表すのに便利ですね(笑)。



わたしの感覚がどうしようもなくズレているのかもしれない。
この時代、外見的な美と欲望のあらわな追求のためにだけ的を絞った雑誌が出版される時代になって、教養を積み、精神を豊かにし、美を表現する人間修養の方法として、字の巧さ拙さだけを取り上げるのはどうか、と反感を買うのは覚悟の上である。
現にわたしだって、この雑誌を講読してるわけやんか。


ああ、でも、でも、でも、外見をここまで磨く時間と資金と環境があり、機会ごとに内面の「美」の重要さを一般的女性に向けてとくとくと説くならば、なぜ字を習わない?と思わずにはいられないのだ。



10人並みの容姿の女性であっても、芳名帳やはがきの墨跡鮮やかな女性のほうが、20歳の女の子に並んで負けない美貌を維持した40女よりずっとずっとずーっと美しいと思うのだが、どうなんだろう。
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