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Taormina



Segesta

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シチリア・マジック





シチリア旅行の写真を整理中。


今回の旅では、ガイドブックには載っていないサイズの村々をぶらぶら訪れるのも目的だった。

内陸部の山頂に鳥の巣のように乗っている村の極細道を走るのには、レンタカーがちと大きすぎたが、夫の運転のおかげで、人口1000人前後の村をたくさん周遊できた。


衝撃的だったのはドゥオモ(大聖堂)をはじめ教会の多さ。
(大聖堂の数は、暇を見つけてベルギーのその数と比較してみたい)

しかも打ち捨てられた教会がものすごく多かったことだ。

これは19世紀、イタリア統一政府による教会財産没収に端を発するのだろうか?
それとも反政府暴動事件セッテ・エ・メッソ(7日半)を鎮圧するためにシチリア入りした反聖職主義者による接収が原因か。
あるいは世界中で起こっている人々の「教会離れ」?


むろん、華麗に保存されている教会施設も天上の美しさな一方で、屋根が落ちていたり、猫屋敷になって朽ち始めていたりする教会建築の諸行無常の寂び感は、物質世界の儚さを現していた。

おごりや虚飾を捨てきった佇まいの美しさは、まるで魂だけを残しているかのようでえも言われぬ。



人口800人ほどの山頂の村の、石畳の急な坂道で転んだ時の話を。
暴力的に転んで流血したのは...太陽がまぶしかったからだよ、ママン。
正午過ぎで、周囲の家はひっそり静まり返り、道行く人もいなかった。それにもかかわらず、突然わらわらと人が出て来、心配してくれ、ある人などは後から車で水とタオルを持って追いかけて来てくれた。手首を5ミリほど擦りむいて、向う脛に青タンができただけなのに...
当日の村の一番の話題は「コミカルな大転倒」だったにちがいない。


別の人口1500人程度の山頂の村の夕暮れ時の話。
シチリアには夕涼みにあたるような習慣があり、村人たちが三々五々、おしゃべりを楽しみに出てくる。
崖上の展望台広場から夕焼けを見、広場を入ったところのバールに入った。突然、伝統的な黒い服を着た老女たちが続々と集まって来た。何か無作法を非難されるのかと思い、一瞬怯んだ。と、彼女らはわたしを拝む(!)ようなポーズをとったのである。
「ヴァチカンで見た絵の中の人のように美しい」(スンマセン)と、壁のブロマイドを取って見せてくれた。
クロエの白のシフォン地が重なった、ひらひらしたドレスを着ていたからだと思う。
言葉の限りを尽くして褒め殺しにされ、「日本語で美しいとは何と言うのか」と聞かれ(<自分では厚かましくてとても言えず、夫が「カワイイ」だと教えたが、かわいいと美しいは全然概念が違うぞ)、お店のものを全部買い上げようかと思ったほどデレデレと喜んだのである。
わかってますて、クロエのドレスが褒められたんですて。
旅人をからかう暇つぶし、あるいはドッキリだったのかもしれない。
ラッキーだったのは夫と娘だ。その後わたしは英国に帰宅するまでずっと鷹揚で機嫌がよかった。


ひなびた観光地、太陽にやられてひとりで休憩に行った。甘いものを欲したので自動販売機のコーヒーを買うことに。
わたしの前でコーヒーを買っている家族のグループが大騒ぎをしており、ちょっとーはやくしてよーと思っていたら、機械にお金を入れすぎたからという理由でラテ・マキアートをおごってくれた。
始め訳が分からず、そんなうまい話があるかと警戒したが、少し英語ができる坊ちゃんが説明してくれた。お母さんに10回くらい投げキッスされたため、このマキアートはイタリアン・マダムの甘い投げキッスの味がした。


その他、思い出し笑いはつきない。


太陽がギラギラと輝き、体力をどんどん消耗し、高速以外の道はメインテナンスが悪く、みなさんにちょっと嘘みたいによくしてもらい、食べ物はどれもこれも別格においしく、堆積した時間は美しく、寝具の質と整え方(いろいろな国を旅行したがイタリアが最高)の魔法! 太古の昔から人々が南下して来て競って教会を建てまくった気持ち、分かる。
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