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ジョルジョーネかティツィアーノか








ロイヤル・アカデミーで開催されているIn the Age of Giorgione展へ。

ルネサンス・ヴェネツィア派の巨星ジョルジョーネを、師のベリーニ、兄弟弟子のティツィアーノとの関係で語る。


「この絵はほんとうにジョルジョーネの作品なのか」というのが、この展覧会のひとつのテーマだ。

ロイヤル・アカデミーのサイトには、『リトラット・ジュスティニアーニの肖像』(上の写真の男性)が、ジョルジョーネ作品か、ティツィアーノ作品か、観客が投票できるコーナーもある。



ジョルジョーネは高名なわりに、彼の作品だと断定できる作品が少なく(6点だとか)、またその作品の内容が寓意に満ちているというので「謎」の多い芸術家だ。


芸術家...

「芸術家」というのは近代の発明品で、ごく簡単に言うと、19世紀、印象派の作品に箔をつけるために生み出された言葉らしい。
名前をつけられて初めて「実態」は存在するようになるのだ。

ジョルジョーネより前の、初期キリスト教の時代においては、画家や彫刻家は職人とみなされていた。
わたしがとてもおもしろいなと思ったのが、池上英洋著の『ルネサンス 歴史と芸術の物語』で読んだ話だ。


周知のように、キリスト教は偶像崇拝を禁止している。

識字率の低かった時代、キリスト教布教は絵画に頼らざるをえず、イエス・キリストや聖母マリア、聖人を描いた、例えばイコンなどを盛んに生産するようになった。しかし教会はこれらが「偶像」扱いされたら立場的にまずい。そこで、

「イコンに描かれた像それ自体は物体ではなく、よって聖なる崇拝対象でもなく、ただの”聖像を宿す器”にすぎない」(『ルネサンス 歴史と芸術の物語』)

という解釈がなされた。

つまり、イコンに描かれた像は、アーティスト各人が創意工夫をもって個性的に表現したイメージではなく、「聖なるイメージ」という単なる実用品の無限コピーだと見なされていたのである。


しかしやがて「個人の力量に対する関心がクローズアップ」され、絵画や彫刻制作活動が「知的・精神的活動が含まれるがゆえに単なる職人仕事ではない」(高階秀爾著『芸術のパトロンたち』より。この本もとてもおもしろい)と考えられる時代が来た。

人間中心主義、ルネサンス期だ。

「署名するかどうかについては、芸術作品の創造行為がどのようなものと捉えられているかが問題なのです。それが芸術家たち”自身のものである”とはっきり自覚していればこそ、彼らは自分の作品だと主張するわけです。」(『ルネサンス 歴史と芸術の物語』)


ジョルジョーネの時代は画家や彫刻家が署名を入れる入れないの過渡期にあったのだろう。


署名もだが、画家の「自画像」も”自身のものである”とはっきり自覚した作品なのだとか。

ジョルジョーネの自画像、男前なだけでなく、なるほど他の誰でもない「ジョルジョーネ」の自意識が画面から溢れている。
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