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青い鳥を求めて




拙ブログを続けてご覧になってくださっている方はもうとっくにご承知だろうが、わたしは旅が大好きだ。

今すぐ家を引き払って、一生ホテル暮らしでいいや、と思うほどだ。

ものへの執着も薄まりそうだし、わたしにとっては常に選択肢に入っている生き方なのである。


幸せの青い鳥は家の中にいる。

一昨夜のロイヤル・バレエ「二羽の鳩」の主題もそうだった。

それは確実にその通りなのだが、わたしは、

「他の文化や気候、時間の流れの中に住んでいる人たちが何を『青い鳥』と思うのか(何を美しいと思うのか)」

ということにものすごーく興味があるのだ。

その経験がわたしの知性の低さゆえに浅はかに終わるとしても、知性が充実するまでどこにも出かけないとしたら、家から一歩も出ずに寿命を迎えてしまうじゃないか。


また、わたしはどこを旅しても「すんごいええとこやったわあ! 綺麗かった! 食べ物最高! めっちゃ親切にしてもらった!」といい気分になって帰って来るおめでたいタイプである。

人の記憶は6割がいい思い出で構成されるそうだが、わたしは旅の思い出は10割がいい思い出でできていると言っても過言ではない。
ブログの旅行の記事にもよかったよかったよかったと浮かれて書いているのは、本当に心からそう思っているのである。


ところで、「その国の実情は、消費する側でなく労働する側に回らなければわからない」と言う。アーメン。全くその通りだ。
高級ホテルと観光スポットをいくら時間をかけて回っても、その国に生きて死ぬ人々の「本当の生活」は見えない。

しかし、スウェーデンに行っても、ドバイに行っても、インドネシアに行っても、アメリカに行っても、ブラジルに行っても、日本に帰っても、「最高! 文化最高! みんなすごいやさしいし! また絶対に行きたい!」とにこにこして自宅へ戻って来る方が、「タクシーでぼられた」「道が汚い」「ガイドにだまされた」「食べ物が口に合わなかった」「結局、そんないいところでもないね」などど思うよりずっと得だと思うのである。


今年は近場によく行った。
ギリシャ、南仏、ノルウェイ、ドイツ、イタリア、ポルトガル、モンテネグロ、スぺイン・カタルーニャ地方、キプロス、マヨルカ島、パリには数度、そしてもちろんベルギー、ブルージュにも帰省した。


来年もいろいろなところに行きたい。
娘のGCSE(英国で16歳で受験する義務教育終了資格試験)を夏に控えているので、例年ほどは遊び歩けないかとは覚悟しているのだが。

決定しているのは、スリランカ。
わたしが妹のように慕っている(<妹の方がしっかりしているというのは、実の妹と同じなのである)H嬢と、R嬢を訪ねてイタリアへ行くこと。


好奇心を持ち続け、小さなことにも驚き、自分の物差しでは測れないような種類の「幸せの鳥」を見せてもらうべく、加齢しても常にオープンマインドでいたい。


願わくば、歴史の彼方に消えてしまいそうな古代オリエントのエリアが平和になって、バビロニアやアッシリアの遺跡が、わたしの足腰が屈強な間に見られるように。

それを望んでいない人は旅好きの中にはいないに違いない。
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