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Brugge Style
英国の「ベルリンの壁」
土曜日にラジオのローカルニュースで聞いた話。
BBC ではここに類似の記事、”Gove calls for state schools to be more like private”。
「英国当局は、公立校と私立校の間にそびえる「ベルリンの壁」的学力格差を失くすため、あらたな指針を打ち出した。
今後は公立校に「頻繁な試験と厳しい修練」を導入し、私立校並の習熟度を目指す。まずは全国一学力レベルが高いサリー州から実施。」
わたしは子供の心を失ってしまった(割には出来損ないの中途半端な)大人だが、子供の成績が「頻繁な試験と厳しい修練」によって上がるなどという幻想は全然持っていない。
もちろん中には試験で良い結果を出すのに燃える生徒もいるだろうし、厳しい修練に応えようとする殊勝な生徒もいるだろう。
しかし自分の子供時代を振り返ってみると、大概の人は、そのような方法で大人にコントロールされるのを最も嫌ったことを思い出すのではないか。
またこの指針に一理あるとして、「頻繁な試験と厳しい修練」で成績が上がるのは、現在進行中の授業内容をある程度消化し、ついて行けている生徒に限るのではないか。
さらに言えば、わたしは「やればできる子」というのもほとんど大人の幻想だと思っている。「やれば」ができない子は一定数存在する。
英国の公立校/私立校の学力格差とその是正に関しては、このような掛け声がしょっちゅう上がる。
教育熱心な親は、できたら自分の子を私立校に行かせたいと願うだろうが、日本の私立校とは比較できないほど高額の費用がかかるため(他に、コネや受験準備が必要などの理由もある)、断念せざるをえない家庭も多い。英国の公立校は無料だが、一般的な話として教育内容も、教師の質も、施設の充実度も、サポート体制も、私立とは全く異なるのである。
わたしは、英国の公立校のレベルが相対的に低いのは、教員の質が悪いからでも、生徒にやる気がないからでも、試験の頻度が低いからでもないと思う。これらは格差の結果であって、原因ではないような気がする。
では格差の理由は何か。
英国の社会の成り立ちの根本が、格差を再生産するようにシステムされているからだと思う。つまり初期設定からしてそうなっているということだ。
英国は伝統的に、数パーセントのエリートにエリート教育を施し、エリートが社会を牽引して行くという考え方の社会だ。
それは例えばベルギーにおける、すべての子供に公平なチャンスと能力に合った教育をという方針、つまり「社会を運営し支えるのは国民全員」という理念を持つ社会とは土台の形からして異なる。
ちなみに英国では私立校で教育を受ける人口はたったの7パーセント。
この7パーセントが、知的職業を例にとると、ジャーナリストの60パーセントを占め、裁判官では70パーセントになる(ガーディアン紙による)。
驚くべき数字ではないか。
だから公立校と私立校の差を本気で埋めようとするならば、初期設定を書き換えなければならないのではないか。
子供に毎日試験を課しても、例えばBBCのニュースの中にあるように、学校を長く開放し、休みを短くし、入学試験を課しても、それだけでは無理な話だ。なぜならばその方法で「生まれの良さが最強の武器である階級社会」の設計図を書き換えることは不可能だからだ。
少数の選ばれたエリートが私欲を捨て、効率よくスマートに社会を運営する、という社会理念は実現可能かどうかは別にして、悪くはない。過去の時代によっては有効だったのかもしれない。
また、わたしは必ずしもエリートの存在に反対はしない。例えば過去の美術品がまとまっており、オートクチュールがあるのは彼らのおかげだ。
しかし国民全員の学力を底上げしたいのなら、「少数のエリートが社会を牽引する社会」が最初にビルトインされていては無理があるのではないかと思う。
その初期設定を放置したままで成績だけを上げようとするのは、砂漠の真ん中で冷蔵庫に電源を入れようとするようなものだ。日本の中高で熱血先生が「きみたちは努力さえすれば何にでもなれる。アメリカ大統領にでも!」と主張しているような寒さすらも感じる。
でもまあ、英国社会の設計図を来年、再来年中に書き換えるのはどだい無理な話なので、とにかく子供の尻をもっと叩け! とにかく厳しくして震え上がらせろ! というハナシなのだろう。
わたしとしては、学びは、「学ぶ主体である自分を、どこか想像もしたことがないような時空に連れて行ってくれる」という知的ワクワク感を煽るべきだと思うのだが、そういうのは時間がかかるし、結果がいつ分かるかも知れぬものだから、採用されはしないでしょうな。
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