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意味の国のアリス




以下、ティム・バートン監督作品、Alice in Wonderlandの内容が含まれています。内容を知りたくない方はご注意下さい。




「不思議の国のアリス」は子どもの頃から最も好きなお話のひとつだ。

役者が揃っている(ヘレナ・ボナム・カーターやアン・ハサウェイのいってしまっている加減が好き)こともあって、
去年から楽しみにしていた...

楽しみにしていたのに...




映画が原作に忠実でなければならないとは少しも思わないが、原作のエッセンスを無視するのならば、それは本歌取りでもない全く別の話として扱われた方が誤解がなくていい。その伝でバートン版「不思議の国のアリス」は「不思議の国のアリス」ではない。


ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のエッセンスはなんと言っても「ナンセンス」にある。
もうひとつ言えば「世界を意味付けることの放棄」にある。

韻を踏むだけで意味の通らない歌を登場人物が延々と歌い、
支離滅裂のドタバタが延々と続き、
「お茶の時間に間に合うため」だけにお家に帰りたい、とアリスは言う。

そこには寓意も象徴性もなく、
アリスの冒険の意義とか
赤の女王の凶暴性の理由とか
帽子屋の狂気の訳とか

誰もその意味を尋ねたりしない。

出来事と叙述の間に「距離がない」ということが夢の世界の特徴であるからだ
(われわれの価値判断抜きの世界そのものの姿でもある)。




一方、ティム・バートンのアリスは

選ばれし者(The One)
選ばれしアリス(The Alice)

であり、


主人公(アリス)は自分の使命を未だ知らず
選ばれし者として祭り上げられることに違和感を覚えるのもつかの間
友情のために勇気を奮って危ない道を渡り、
助け手を得て宝物を探し当て、
悪者を倒し、

最後には自分の人生の意味を探し当てる...

英雄神話の王道パターン。



おまけに流行のCGバトルシーンで龍型の化け物を退治して正真正銘のヒーローになったアリスを見た時は
(そしてチェシャ猫は実は「ちょっといいヤツ」だったのだ、というシーン!スティーブン・フライがこの映画に出演したのはどういうつもりだったのか?ハリウッドの蜜はそんなに甘いのか?)

なぜにこの話を「指輪物語」(ロードオブザリング)にする必要があるのだ?

と3D眼鏡を床に叩き付けそうになったぞ。


それで何かい、アリスは自立に目覚めて東インド会社の手伝いでもしたんかい。


西洋の、この、世界を意味で埋め尽くそうとする絶え間ない運動は病気ですな。



・・・・・



人生には意味がある
出来事には意味がある
困難にも死にも意味がある
それぞれの人間はその人固有の人生の使命を帯びている

そういった「悲劇の死」的な言葉が人生にフィットすると思う人は、そう思って間違いない。


一方、わたしは人生に意味などなく、固有の使命などもないと思う。
わたしにとって世界は「ありのまま」にあるだけだ(アリスにとってもそうに違いない)。

人生に意味がなく、幸にも不幸にも意味がなく、どういった種類の人生の局面においても正誤の判断の元になる神様も閻魔帳も律法もない世界で、それでも人間が「最善」を尽くして生きることには意味があると思うけど。




人生の意味を探して奮闘する主人公を映画に据える場合には、アリスだけは除いて欲しかった。
アンやジュディを使えばよかったのに。


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