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続・末は博士か大臣か 




娘が音楽学校の試験で演奏した時、審査委員の先生に「このまま一所懸命練習すれば、必ず有名なピアニストになれます」と言われたそうだ。


父親や祖父母はそれを聞いて、手の舞い足の踏むところを知らずという様子であったが、昨今の日本のお子たちの眼を剥くほどの技術の高さや、例えばマルタ・アルゲリッチら、天才と謳われるピアニストの幼少時の演奏(較べるなって)を心に刻んでいるわたしとしては、かえって白けてしまう。

夫はわたしの冷めた態度が理解できないと言う。
両親そろって舞い上がってどうするんだね。



先日も書いたが、彼女は「大人になったらお医者になるか、古生物学者になるか、ピアニストか、迷っているんです」と謳うように言い、わたしは「ゆえるときにゆっとき」と思う。大人が呪文のように「夢を忘れなければ必ず夢は叶う」と繰り返すのは知っているが、わたしにはどうしてもそうは思えないのだ。そういえばこのようなことを言うのは日本の大人で、ベルギーの大人が言うのは聞いたことがない。いつから日本人はそう言うようになったんだろう。


あるいはわたしは本当に白雪姫の継母化しているのだろうか?

白雪姫を始め、童話に登場する魔女は「継母」の真の姿ということになっているが、原典では「実の母親」の真の姿なのだそうだ。
母親が実の娘にあんな仕打ちをするなど惨すぎるというので、口承が書き留められた次点で「継母」に書き換えられたのだ。

母親は自分が衰え、将来が先細りであることに対し、娘の現在と未来が輝かしいことに強い嫉妬を覚えるのだそうである。

つまりなんですな、娘がコンパで帰宅が遅いとか、ボーイフレンドが複数いるだとか、何をしているかよく分からないけれど毎日急がしそうに外出ばかりしていると言って怒る母親は、娘が心配というより、深層心理では嫉妬している、という解釈になる訳だ。


わたしにはそういう実感はないし、母親が怒るのもそういう理由だけではないと思うが、昔話が語る人間性への洞察には戦慄を覚える。



娘にはどこに住んでも誰と住んでもどんな境遇でも「幸せな人」になって欲しい。


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