アメリカのミシシッピー川は世界第4位の長河で、総延長は約6000キロ。
支流に、アーカンソー川、イリノイ川、ミズーリ川、オハイオ川、レッド川などがあり、
その支流も日本感覚で言うと、大変な大河です。
この川は、北アメリカに鉄道が敷設される前から、大陸の南北を結ぶ、
重要な交通路でした。
特に船の動力として蒸気機関が登場すると、
多くの船舶に採用され、それは川の流れに逆らって通行する為の最良の手段となりました。
輸送される物資は小麦、トウモロコシ、綿花などの農産物が大半でした。
この様な蒸気河船は1830年代終わり頃には1000隻を超えていました。
これらの河船には大きな特徴がありました。
川幅は広いのですが、水深が浅いので、喫水は精々1,5メートルほど。
乾舷(水面から甲板までの高さ)も50センチ程度。
しかし海と違って波も無い事からそれで充分だったのです。
河船の規模は700トン。全長79メートル、全幅13メートルでした。
これらの河船は貨物を上甲板に積めるだけ積むという方法でした。
綿花の袋などは波が無いだけに転覆の心配もなく、
まるで巨大な綿花の塊が流れている様な光景でした。
一方では事故と切り離せない歴史もありました。
事故のほぼ全てはボイラー(缶)の爆発でした。
1800年代中頃の40年間に約500隻でボイラー爆発事故が起き、
(1ヵ月に1隻強)犠牲者の数は4000人(年間100人)を超えていました。
当時のボイラーは強度の弱い軟鉄をハンマーで叩きあげて曲面加工し、
これをリベット打ちしてボイラーを造りあげるのです。
しかし、工作、加工精度に均一性が無く、
高圧に耐えられない部分が破裂しボイラ爆発となるのです。
1865年4月27日に最悪の事故が発生しました。
1660トンのサルターナ号がミシシッピー川の中流、メンフィス沖で起きました。
この船には南北戦争の終結にともない、北の故郷に向かう兵士達1500名と、
一般乗客367名が乗船していましたが、
ボイラー爆発は大規模で、全船が吹き飛んでしまったのです。
1800名が犠牲となる大惨事で、アメリカ船舶史上最悪の事件だったのです
これは1500名が犠牲になったタイタニック号より300名も多いのです。