河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

昔から長髪が好き

2022-06-20 04:02:47 | 日記




思えば、私は子供の頃から長髪が好きでした。
物心ついた時には既に長髪好きな自分がいました。

小学校の時の(音楽)の教科書だったか、
ヨーロッパの作曲家たちの絵が載っていました。
モーツァルト、ベートーベン、バッハ、シューマン。
そういった人達は儀礼的なカツラである人も居ますが、ほぼ長髪でした。
そういった長髪を見ながら、私は子供心に「いいな~」と思っていました。

私は過去に2回だけ坊主頭になった事があります。
最初は小学校入学以前の4歳前後でした。
何らかの理由(頭に湿疹が出来たとか?)で坊主頭にさせられたのです。
その時撮った写真が残っているのですが、
私は明らかに眉をひそめて嫌がっている事が、私には分かるのです。

2回目は高校生の時です。
学年は覚えていないのですが、私は男子校でした。
1年から3年まで担任の教師は同じでした。
彼(そいつ)は体育の先生で、当時40歳くらいだったか?
ある時、クラスの成績が悪いので、お前ら全員坊主になれと命令したのです。

今にして思うと全くの暴挙です。
その頃の学校とか教師とかは、今と違ってかなりの権力がありました。
「学校」という社会から隔絶された閉鎖社会。
そういった閉鎖社会において自分は特権を持っているんだぞ、
という有無を言わせぬ雰囲気があり、父兄たちもそれを認めざるを得ない、
そういった時代だったのです。

そう言われた私達は、
既に野球部だとかで坊主頭だった連中は、痛くも痒くもありません。
昨日と全く何も変わらないのですから。
しかし、今まで長髪だった連中にとっては不公平極まりありません。
でも、当時、絶対的権力者である担任教師には逆らえません。
床屋さんに行ってクリクリ坊主にするしかなかったのです。

私も泣く泣く坊主頭にしました。
今、思うとそれは屈辱しか感じません。
しかし、クラスにたった一人だけそれに逆らった奴がいました。
そいつはクリクリ坊主にはしなかったんですが、
一応床屋に行って、何やら中途半端に髪を短く切ってきました。
クラスの中でも、そいつを見ながらささやく姿がありました。
そいつは、それに歯を喰いしばって耐えていた姿を思い出します。
あいつは偉かったと思います。
私はブラスバンドでユーフォニウムを吹いていたのですが、
そいつも私と同じブラスバンドで、アルトサックスを吹いていました。
彼とは高校卒業後もしばらくは交流があったのですが、いつか自然消滅しました。

その時の担任教師には、恨みしか感じません。
教師と言っても、特に体育系には、そういったある種のバカがいます。
彼等には音楽を愛するといった事は、にやけた女のする戯言としか写っていないのです。
それはその教師の言動からもいつも感じていました。
全くそういった輩は救いようがありません。
彼は死ぬまで自分の正義こそ、世の正義と信じ死んでいったのでしょう。

私の親族には教師が3人も居ましたが、
社会からある種、隔絶された塀の中で「先生様」などと奉られている人を、
私は純粋に敬うなどという事はできません。
彼等はある意味、心理的な病気に侵された人、私はそう見ています。





私の長髪好きは以後、変わる事ありません。
こういった坊主頭やスキンヘッドなどというものは、
まあ、好きでスキンヘッドになった訳ではない人もいますが、
好きじゃないというか、嫌いです。
あれは本当に気持ち悪いのです。

しかし、私の好きな俳優さんは、みな長髪ではありません。
皆さん短髪なんですね。









私も生まれてこの方、長髪にした事は一度もありません。
日本人社会の一般的な男性のヘヤースタイルです。
冒険する気が無いんでしょうか?
いえ、あれは髪の毛の特性や頭の形や、髪質、癖などがあって、
私の場合は癖が強くて長髪に向かないのです。
だから泣く泣く短髪だったし、今では長髪にしたくても時すでに遅く無理なんですね(涙)

しかしね~、人生で一度はシューベルトやベートーベンみたいにしたかったな~。




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キャンプ場で車中泊が禁止

2022-06-19 06:42:48 | キャンプ


最近、キャンプ場での車中泊を禁止するキャンプ場が増えているという。
という事は、折角キャンピングカーで行ったのに、
車内のベッドは使えずに、外にテントを張って寝るという事だ。
これは一体どういう事なんだろう?
私は最近までそんな事が起きているとは知りませんでした。



私は以前から「キャンピングカーなんて要らない」と公言していました。
キャンピングカーの持つ特性は、
1 ベッドがある。
2 キッチンがある。
3 リビング(テーブルと椅子)がある。

4 トイレがある。
5 シャワーがある。

この5つに集約されると思いますが、
その内2つ。
〇 キッチンはまるで要りません。
  というのは、車内で料理などすると車内が油でベトベトになるからです。
〇 リビング・・キャンプ場に来ているのに、車の中などには居たくありません。
  外に出て大自然と一体になる感覚がいいのですから。
  雨の日に便利と言っても、そもそも雨天予報の時にキャンプなどには行かないですね。

そして、4つ目と5つ目は小型のキャンピングカーにはありません。
大型の車にしか普通はありませんが、
まず、トイレ・・後始末は貴方が自分でやるしかありません。
そんな事、誰だって嫌ですね。キャンプ場のトイレに行けばいいだけ。
シャワー・・そもそもキャンピングカーのシャワーなど、
身体の大きな男性だと狭くて「もう二度と使いたくない」となってしまいます。

つまり、キャンピングカーが持つ最大のメリットはベッドだけ。
となるのです、ベッドが常時存在するというのは、
テントを張ったり収納したり(特に雨の中で)という面倒な作業から解放されるという、
最大のメリットがあるのは、実に羨ましい。

と思っていたんですが、
その最大のメリットであるベッドが使えないとなると・・・
キャンピングカーなど有るだけ無駄となってしまいます。



大袈裟なキャンピングカーは要らないけれど、
普通のワンボックスカーに、ベッドを仮設する。
こういった形式が私には最も理想的に思えていたのですが、これもダメ。

でも、何でキャンプ場で車内泊がダメなのでしょう?

キャンプ場いわく、マナー違反で迷惑行為が多いから。だそうです。
〇 車の出入りにドアを開け閉めする音が迷惑
〇 車内で電気を煌々と点けてキャンプ場の雰囲気を台無しにする。
〇 一晩中エンジンをかけっ放し騒音をまき散らす。
〇 車内で大声で騒いだり、話し声が車外に漏れたり。

大体そういった迷惑行為が多いんだそうです。
言われてみると私も合点がいき納得する事を今まで見てきました。

みんなが、普通にテントを張ってささやかに自然と一体化してるキャンプならいいんですが、
世の中、金回りが良くなって普通は中々買えない車など買うと、
それに胡坐をかいて、見せつけたりする輩が当然出てきます。
そういった人は自然と溶け合う、云々ではなく不自然な行為をするのです。

私も何度もそういったキャンピングカー迷惑者を見てきました。

戸隠に行った時、
美しい戸隠山が在り、反対側はトイレ。
そのキャンピングカーは車体で戸隠山が見えない様にして、
反対のトイレ側で食事をしていました。
夜になると車内でパソコンをしているのが見えました。
こんな奴らはキャンプなどするだけ無意味ですね。
自然というものをまるで理解していません。

4トン車並みの大型キャンピングカーが居ました。
その中からは大型犬が2匹出てきました。

あまり広くはないキャンプ場に、トレーラーのキャンピングーが来ました。
アメリカのキャンプ場でもあるまいし、
それを動かすオヤジさんは、キャンプ場内での車の取り回しに汗だくになって、
何回も何回もハンドルを切り返して、他のキャンプ客から大注目されていました。



もし、自分がキャンプしている隣に、
こんなケバケバしいキャンピングカーが来たら、嫌になります。
どうせ何か迷惑な事をするに決まってますから。

そんな事を思うと、キャンプ場での車内泊は禁止というのは、
それは素晴らしい事じゃないかと、思えてきます。
みんな、ひそやかに大人しく普通にキャンプすればいいのですね。
便利になりたいとか、お金はあるんだからとか、
そういったのではなく、あくまでも自然の中で過ごす喜びを感じて、
慎ましやかにするのが、最も正解で人間らしいのではないでしょうか。

そんな事を思わされた(車中泊禁止)でした。



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思い出してもあれは不味かった~

2022-06-15 10:50:46 | グルメ


妻が読んだ本に、著者は何かの仕事で宇都宮に行って、
夕方になったので、宇都宮と言えば餃子が名物なんだからそれじゃ~っと行ったら、
凄い行列で2時間待ちとか言われ、仕方ないのであきらめ、
他の店に行ったら、そこでも30分くらい並んでやっと夕食にありついた。
しかし、驚いたのは、「こんな不味い餃子食べた事ない」
という代物でビックリしたと書いてあったそうです。

それで思い出すのは、私が子供だった時に、
叔母さんと一緒に入ったラーメン屋。



街の小さな普通のラーメン屋さんだったのですが、
ひと口食べると、叔母さんが私の顔を見ながら小声で、
「不味いね」
ホントに不味いのひと言。
子供でもあんな不味いラーメン食べた事なかった。

ラーメンで思い出す事があります。
その店は一時期、東京で一番美味いと大評判でした。
私も行った事があるのですが、
こんな不味い店が何で一番なのと不思議でした。
後日たまたま知ったのですが、その店の夫婦は離婚して、
今では何のノウハウも無い女房がやってる、という事だったのです。ギャフン。



若い頃、仕事の同僚と、確か群馬の高崎あたりで食べた冷麺。
私も彼も冷麺を食べるのは初めてだった。
写真と同じ姿だったかは全く覚えていないのですが、
二人共「こんな不味い食べ物、食べた事ない」とビックリしました。
それ以来、私は一度として冷麺なる物は食べていません。
あれ一発で懲りてしまいました。



これも若い頃、厚木のドライブインで食べた豚カツ。
ひと口食べた時、あまり不味くて吐き出そうかと思いました。
しかし、勿体ないので我慢して最後まで食べましたが、
あれは素人でも分かる(揚げた油が古かった)のだと思います。



これは場所は覚えていないのですが、何処か地方で食べた焼肉。
美味い不味い以前に、肉に何か動物の毛が生えているんですから、
それも一片や二片でなく、そんな肉ばかり。
もう気持ち悪くなってしまいました。



10年くらい前だったか、今年初めてという冷やし中華を食べたら、
辛い、麺が硬い、味が不味いという三重苦で、ほうほうのていで店を出て、
口直しに甘~い生菓子を買って食べました。



数年前、妻と山梨方面に1泊ドライブに行きました。
妻はかねてより「ほうとう」の美味しさを何度か私に話していましたが、
私は「ほうとう」は殆ど記憶になかったのです。
「ほうとう」と言えば山梨が地元の名物だからと、
私達は探し回って、ある駅の近くに「ほうとう」を主体にした店を見つけて入りました。
で、出されたほうとうを食べたのですが、妻は何も喋りません。
そのまま食べていたのですが、再び妻と顔が合った時に、
どっちからでもなく「不味いね」
どう見たって地元中の地元。
そこの名物の「ほうとう」が不味い訳がないだろう。
でも、今でも語り草になってる、あのほうとうの不味かった事・・



新宿、歌舞伎町に「餃子専門」と書いた店があります。
かねてより気になっていた私はそこに入り、水餃子を注文しました。
私は餃子と言えば、水餃子が食べたいクチなんです。
で、出された水餃子を食べたら、不味くはない、
けど、敢えて「餃子専門」なんて言うんじゃないよ、と言う代物でした。
そんな時に限って中年の男性店員が私に訊いたのです「どう、美味いでしょ」
私はカチンときたので「こんなのなら私の中国人妻の方が全然美味しい」
とはっきり言ってやりました。
男は黙ってあっちに行きましたが、
本当に別れた中国人妻の作る水餃子は天下一品だった。
しかし、あの程度で餃子専門なんてよく言えるもんだったな。



府中に引っ越してから、たまたま入った中華料理店に「油そば」というのがあった。
若い店員が「一度食べたら病みつきになるかも知れませんよ」というので食べてみた。
美味しかった、以来その店には「油そば」を食べに行く様になりました。
さて、その「油そば」についてネットで調べてみたら、
比較的近くに「元祖油そば」を謳う店がありました。
ネットで見ても、かなり遠くから車でやって来る客でいつも満席だそうです。
私達も行ってみました。
ネットで見た通り地方ナンバーの車がかなり来ていました。

で、ようやく元祖を謳う全国区の「油そば」を食べました。
さぁ、またまた妻と顔を見合わせ(つまり不味い時の顔)ました。
帰宅してからも妻と「あんな不味い店のくせにネット詐欺だな」でした。
その店の「油そば」はスーパーでも乾麺で売っていますけどね。

全く、食べ物というのは、食べてみないとわかり様がないし、
現在はネットの良さと言うか、その真逆だったりで、
全然美味くもない店に皆が騙されている事もあるんですね。

日高屋のラーメンなんていうと、
ラーメン通と言われる人はバカにするのかも知れませんが、
私は行列するのが当たり前の店より、
物によっては、こっちの方が美味いんじゃないの?と思う事があります。
所詮、好みですから一概には言えませんが、
それでも、たまにはこういった「不味~い店」に当たる事もあるんですね。

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丹波哲郎

2022-06-14 15:09:36 | 映画


私の好きな男優に、丹波哲郎がいます。
如何にも男っぽい、にやけた所がないいかつい顔。
私は、いわゆるイケメンとかハンサムとかの男優は全く好みではありません。

丹波哲郎(本名・丹波正三郎)は、
1922年(大正11年)~2006年(84歳)
東京、新宿で日本画家であった丹波緑川の3男として生まれました。
親戚が総長を務める中央大学法学部に無試験で入学。

第一回学徒出陣で入隊しますが、
態度がデカい事と、身体がデカい(身長175センチ)事が原因で、
他の人の3倍の体罰を受けたとテレビで話していました。
そうでしょうね~、テレビなんかで観ても、
ホントに態度がデカく、そしてそれが憎めない不思議さがあります。
こういう人って得ですね。



昭和20年、大学に復学しGHQ(米軍が日本占領中に設置した司令部)の、
通訳のアルバイトをしていましたが、
本人いわく、「英語は半分程度しか理解できず、トイレに逃げ込んでいた」そうです。
全く人を喰った男ですね。

その後、俳優を志し1950年(28歳)劇団文化座に加入。
それから新東宝に入社しますが、
態度がデカい事から中々役に就けませんでした。

1960年頃から「豚と軍艦」「丹下左膳」
1963年、テレビ「三匹の侍」などでスターとしての地位を確固たるものにします。



1967年「007は二度死ぬ」で国際的に認知されます。



1968年から始まったテレビ「キイハンター」は、
視聴率30%を超える人気ドラマになりました。



1974年には映画「砂の器」で刑事役を演じました。

後年は生涯の研究テーマである「死後の世界」を研究し、
映画を製作するなど話題になりましたが、
2006年、肺炎の為に84歳の生涯を閉じました。

丹波哲郎は実に多様な人間性で語られる事が多かった人物でもありました。

〇 映画監督の石井輝男氏は、最も信頼できる俳優として、
  「文句も言わずひたすら黙々と演じる」丹波をいつも誉めていました。
〇 007の撮影中、いつも遅刻して来る丹波に、ショーン・コネリーが、
  シビレを切らしてホテルを訪れると、
  「ショーンが迎えに来てくれたんだから行かねばならない待っててくれ」
  などと得意の調子でやりくるめ、皆が苦笑したそうです。
〇 妻の貞子とは1949年に結婚。
  後年、貞子が車椅子生活になると、丹波は献身的に介護したそうです。
〇 台本を読まない事で知られ、この為に撮影の時は、
  あちこちにカンニングペーパーが置かれていたそうです。
〇 深作欣二監督に「自分のセリフくらい家で覚えて来い」と言われると、
  「俺は家庭に仕事は持ち込まない主義だ」と返したそうです。

全く、豪放磊落というか、ノーテンキというか、
顔に見合った態度のデカさと、それでいて憎めないという、
私から見れば実に羨ましく思える人物です。





ホントに、にやけた所が全然なく、
いかつい身体、いかつく野太い声で、侍みたいでいいんですね~。

今、こういった俳優は居るんでしょうか?
ま、そのうち出現する事を願っています。

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マジノ線・壮大なる大失敗

2022-06-13 18:30:33 | 軍事
1914年~1918年、第一次世界大戦。
フランス軍はパリ郊外でドイツ軍と対峙し、
30万人をはるかに超えるという大損害を記録しました。

何しろここを突破されると、花の都パリはドイツ軍の手に堕ちるのですから、
フランス軍は必死です。
両軍は総延長数千キロという塹壕を掘って立てこもり、
そこから出ると、この大戦から大量に装備されるようになった、
機関銃が銃弾を浴びせてくるのですから、全くの膠着状態になったのでした。
この戦いを映画にしたのが「西部戦線異状なし」という有名な映画です。

この戦争は一応フランス軍が勝利しましたが、
フランスとしては、隣国に居る好戦的なドイツという国が絶えず脅威です。
この国が在る限りフランスは安閑としてはいられません。
ではどうしたらいいのか?
フランスは中国の「万里の長城」よろしく、鉄壁の要塞を造ったのです。
それは歴史上最大と言われた大要塞地帯でした。





ドイツの下側にある国はスイスで、要塞の総延長は700キロとも言われています。







工事は1930年頃から始まり、1940年頃まで約10年間続きました。
マジノ線とは、当時の陸軍元帥、アンドレ・マジノの提案で造られ、
それを冠してマジノ線と名付けられました。
工事費用は当時の国家予算にも匹敵する膨大な金額でした。
いかにフランスがドイツに脅威を抱いていたかの証しです。

15キロ間隔で108の要塞を築き、
それは厚さ3,5メートルに達するコンクリートに覆われていました。
この要塞の地下には大きな地下道があり、
兵員、食糧、弾薬を運ぶ電気鉄道も走っていました。

フランスはこの要塞がドイツとの国境を囲っている限り安全だと信じ込んでいました。
二十数万のフランス兵が立てこもっている鉄壁の要塞は、
ドイツ軍の指導者たちさえ、それを認めるのにやぶさかではありませんでした。

さて、第二次世界大戦が始まりました。
1940年5月10日、ドイツの機甲師団がフランスへ向け進撃を始めました。
しかし、フランス軍はドイツ軍の進路に大きな衝撃を受けます。
ドイツ軍はマジノ線を避けて、北方のベルギーに在る、
アルデンヌの森から進軍して来たのです。





そこは標高300~350メートルの丘陵地帯が続く森林でした。
そこには広い道など無く、また湖沼も多く、大軍の通過は出来ない。
フランス軍はこの丘陵地帯を進軍する事は不可能だと考えていたのです。
しかし、ドイツ軍は進軍の可否を試して「行ける」と結論づけていました。
ドイツ軍はアルデンヌを詳細に調査し、慎重に進みさえすれば、
大軍であっても進軍は可能である事を知っていたのです。
鉄壁の要塞、マジノ線は何の役にも立ちませんでした。
ドイツ軍から見捨られてしまったのです。



見捨てられたからと言って、そこを護るフランス兵25万人は、
マジノ要塞の中で右往左往するばかりで、生殺し状態でした。
それからひと月足らずでフランスはドイツに降伏したのでした。

現在もマジノ要塞の殆どは、その姿を留め、観光客のポイントとなっています。
というのは、あまりにも分厚いコンクリートな為に撤去するにも膨大な費用がかかるのです。

しかし、フランスの甘さには呆れますね。
誰一人マジノ線の北側のアルデンヌの森など考えもしなかったのですから。
よく世界の三大無用の長物として、
「ピラミッド」「万里の長城」「戦艦大和」と言われますが、
このマジノ線も彼等と全く同じで、国家予算を喰い潰した大失敗作でした。


さて、ここまでは、ある本から引用させて頂いたのですが、
この文の著者は、最後にこう言っています。



「軍備に関する事だけではなく、国家的な大事業に着手する際、
あらゆる可能性について徹底的に検討し、議論を重ね、
少数意見にも耳を貸す事が必要なのである。
こう考えると数兆円を投じて建設中のリニア新幹線も、
我が国にとって本当に必要かどうか、議論を深めてほしいと思われる」

「もはやSNSを駆使してテレワークの時代である。
また観光客の為の移動なら既成の新幹線でも十分対応できる。
東京と名古屋間を30分速くする為に、
国家予算の10パーセント近くをつぎ込むのである。
リニアが現代における万里の長城、マジノ線なのではあるまいか。」

どうでしょう。
とても深い蘊蓄ある言葉ですね。
私も、なるほどと考えさせられてしまいました。
リニアはマジノ線となるのか?


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