戦艦・三笠の一斉射撃で始まった日本軍の砲撃は、
三笠に続いて「敷島」が、
1分後には「富士」「朝日」「春日」「日進」と、
ロシアの旗艦・戦艦スワロフを狙って集中攻撃をしました。
その後に続く艦は、
左列の先頭艦の「オスラビア」に集中攻撃をかけます。
オスラビアはその時、右列の戦艦群を先に通そうと、
殆ど停止状態で、格好の的になってしまったのです。
これがロジェストヴェンスキー提督が犯した最大の失敗の結果でした。
日本艦隊とロシア艦隊との距離は5000メートル以下に短縮。
東郷提督が願っていた接近戦がまさに実現したのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/68/e2b142df424ddab966f997cc459d6957.jpg)
これによって、6インチの中口径砲多数が砲撃に参加。
これらは砲数が多い上に発射速度が優れているので、
ロシア艦隊の数倍におよぶ砲弾を敵に浴びせかけられました。
砲撃を開始して10分後にはロシア艦隊に続々と砲弾が命中し、
集中砲火を浴びた旗艦スワロフと、オスラビアの被害が著しくなりました。
たまらずにロジェストヴェンスキー提督は右舷への変針を命じます。
それを見た東郷提督は旗艦三笠に変針を命じ、
ロシア艦隊の進路前方にのしかかる様に艦隊を進めます。
三笠には敵の砲弾がかなり命中しますが、
奇跡的に東郷提督の居る、露天艦橋には命中しません。
距離はさらに縮まり4600メートルになりました。
日本艦隊は小口径砲まで射撃に加わります。
戦闘開始から20分足らずでオスラビアはたまらずに戦列を離れます。
この集中砲火の被害にロジェストヴェンスキー提督は艦隊を右に左に
変針させますが、東郷提督は執拗に食い下がり、
ロシア艦隊への前面圧迫をやめません。
オスラビアに続き、旗艦スワロフも戦列外に出ざるをえませんでした。
戦列を離れた旗艦に変わって、アレクサンドル三世号が先頭艦になりました。
ロジェストヴェンスキー提督はこのままでは不利だと、
全艦に180度の一斉回頭を命じます。
これを見た東郷提督は、あくまでロシア艦隊の前面圧迫を決意、
全艦に一斉反転を命じます。
これによって、今まで最後尾に居た艦が先頭になり、
今まで先頭だった旗艦・三笠が最後尾になります。
その間にも日本軍の砲撃は間断なく続けられ、
その中でも戦艦オスラビアの被害は甚大で、
必死で艦隊を追う姿は悲壮でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0c/9e8a88013cfe33a7a38acf107f38949d.jpg)
しかし、戦闘開始から1時間も経たない午後3時06分。
オスラビアは力尽きロシア艦隊が見守る中、沈没して行きました。
ロシア艦隊乗組員は眼前で沈没してゆくオスラビアの姿に慄然とします。
7か月前にロシアを出港してきたオスラビアの姿は無く、
多くの乗組員が海面に投げ出され死にかけている。
旗艦スワロフのロジェストヴェンスキー提督は、
日本艦隊の砲撃が予想以上に高い命中率をしめしている事に呆然とします。
そして味方艦の被害の激しさに戦慄していました。
しかし彼はまだ希望を失ってはいませんでした。
午後2時52分。
日本軍の砲弾が旗艦スワロフの司令塔に命中しました。
ロジェストヴェンスキー提督と艦長が負傷しました。
ロジェストヴェンスキー提督は一時意識を失いますが、
気力で意識を回復し指揮を採ろうとします。
スワロフに変わって先頭艦を務めていたアレクサンドル三世も、
被害が著しくなり戦列外に出てしまいました。
変わって先頭艦になったのはボロジノでした。
ボロジノは必死で日本艦隊から逃げようと右へ左へと変針します。
その結果、日本艦隊からの距離は遠ざかって行きました。
それは戦闘開始から1時間10分後の午後3時20分の事でした。
旗艦・スワロフはただ一艦で洋上を漂っていました。
艦上の構造物は全て破壊され軍艦の形態は失われていました。
ロジェストヴェンスキー提督は頭部に深い傷を負い、
足にも深い傷を負っていました。
ロシア艦隊を見失った東郷提督は、
全艦艇に対し大々的な索敵を命じます。
このままロシア艦隊がウラジオスットックに逃げ込んでしまえば、
必ず大きな脅威となる。
東郷提督は、ロシア艦隊を徹底的に撃破したかったのです。
敵を見失ってから40分後、
午後4時頃、
連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を発見します。
距離6000メートルで砲撃を開始しました。
互いに同方向での並行戦でした。
この並行戦は10数分で終わりましたが、
この攻撃でロシア艦隊は更に深く傷つきました。
その頃、霧が深くなって午後4時43分。
またもロシア艦隊の姿を見失います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a1/94f28b56b73ab93bef65a8364f9f9a6f.jpg)
この頃、午後4時30分頃、
日本巡洋艦隊の追尾から必死に逃れようとしていた、
ロシア巡洋艦隊に思わぬ幸運がおとずれました。
東郷艦隊に追われていた戦艦隊と遭遇したのです。
巡洋艦隊は戦艦隊と合流して、日本の巡洋艦隊と激しい戦闘が開始されました。
日本巡洋艦隊は戦艦を相手では勝ち目がないので、
ロシア艦隊の射程距離外に逃れます。
しかし、この海戦の砲声を聞きつけた日本艦隊が、現場に駆け付けました。
日本艦隊の突然の出現にロシア艦隊は驚愕します。
午後5時05分頃。
これに恐れをなしたロシア艦隊は退避行動を取ります。
やがてロシア艦隊は霧の中へ姿を消して行きました。
三笠に続いて「敷島」が、
1分後には「富士」「朝日」「春日」「日進」と、
ロシアの旗艦・戦艦スワロフを狙って集中攻撃をしました。
その後に続く艦は、
左列の先頭艦の「オスラビア」に集中攻撃をかけます。
オスラビアはその時、右列の戦艦群を先に通そうと、
殆ど停止状態で、格好の的になってしまったのです。
これがロジェストヴェンスキー提督が犯した最大の失敗の結果でした。
日本艦隊とロシア艦隊との距離は5000メートル以下に短縮。
東郷提督が願っていた接近戦がまさに実現したのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/68/e2b142df424ddab966f997cc459d6957.jpg)
これによって、6インチの中口径砲多数が砲撃に参加。
これらは砲数が多い上に発射速度が優れているので、
ロシア艦隊の数倍におよぶ砲弾を敵に浴びせかけられました。
砲撃を開始して10分後にはロシア艦隊に続々と砲弾が命中し、
集中砲火を浴びた旗艦スワロフと、オスラビアの被害が著しくなりました。
たまらずにロジェストヴェンスキー提督は右舷への変針を命じます。
それを見た東郷提督は旗艦三笠に変針を命じ、
ロシア艦隊の進路前方にのしかかる様に艦隊を進めます。
三笠には敵の砲弾がかなり命中しますが、
奇跡的に東郷提督の居る、露天艦橋には命中しません。
距離はさらに縮まり4600メートルになりました。
日本艦隊は小口径砲まで射撃に加わります。
戦闘開始から20分足らずでオスラビアはたまらずに戦列を離れます。
この集中砲火の被害にロジェストヴェンスキー提督は艦隊を右に左に
変針させますが、東郷提督は執拗に食い下がり、
ロシア艦隊への前面圧迫をやめません。
オスラビアに続き、旗艦スワロフも戦列外に出ざるをえませんでした。
戦列を離れた旗艦に変わって、アレクサンドル三世号が先頭艦になりました。
ロジェストヴェンスキー提督はこのままでは不利だと、
全艦に180度の一斉回頭を命じます。
これを見た東郷提督は、あくまでロシア艦隊の前面圧迫を決意、
全艦に一斉反転を命じます。
これによって、今まで最後尾に居た艦が先頭になり、
今まで先頭だった旗艦・三笠が最後尾になります。
その間にも日本軍の砲撃は間断なく続けられ、
その中でも戦艦オスラビアの被害は甚大で、
必死で艦隊を追う姿は悲壮でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0c/9e8a88013cfe33a7a38acf107f38949d.jpg)
しかし、戦闘開始から1時間も経たない午後3時06分。
オスラビアは力尽きロシア艦隊が見守る中、沈没して行きました。
ロシア艦隊乗組員は眼前で沈没してゆくオスラビアの姿に慄然とします。
7か月前にロシアを出港してきたオスラビアの姿は無く、
多くの乗組員が海面に投げ出され死にかけている。
旗艦スワロフのロジェストヴェンスキー提督は、
日本艦隊の砲撃が予想以上に高い命中率をしめしている事に呆然とします。
そして味方艦の被害の激しさに戦慄していました。
しかし彼はまだ希望を失ってはいませんでした。
午後2時52分。
日本軍の砲弾が旗艦スワロフの司令塔に命中しました。
ロジェストヴェンスキー提督と艦長が負傷しました。
ロジェストヴェンスキー提督は一時意識を失いますが、
気力で意識を回復し指揮を採ろうとします。
スワロフに変わって先頭艦を務めていたアレクサンドル三世も、
被害が著しくなり戦列外に出てしまいました。
変わって先頭艦になったのはボロジノでした。
ボロジノは必死で日本艦隊から逃げようと右へ左へと変針します。
その結果、日本艦隊からの距離は遠ざかって行きました。
それは戦闘開始から1時間10分後の午後3時20分の事でした。
旗艦・スワロフはただ一艦で洋上を漂っていました。
艦上の構造物は全て破壊され軍艦の形態は失われていました。
ロジェストヴェンスキー提督は頭部に深い傷を負い、
足にも深い傷を負っていました。
ロシア艦隊を見失った東郷提督は、
全艦艇に対し大々的な索敵を命じます。
このままロシア艦隊がウラジオスットックに逃げ込んでしまえば、
必ず大きな脅威となる。
東郷提督は、ロシア艦隊を徹底的に撃破したかったのです。
敵を見失ってから40分後、
午後4時頃、
連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を発見します。
距離6000メートルで砲撃を開始しました。
互いに同方向での並行戦でした。
この並行戦は10数分で終わりましたが、
この攻撃でロシア艦隊は更に深く傷つきました。
その頃、霧が深くなって午後4時43分。
またもロシア艦隊の姿を見失います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a1/94f28b56b73ab93bef65a8364f9f9a6f.jpg)
この頃、午後4時30分頃、
日本巡洋艦隊の追尾から必死に逃れようとしていた、
ロシア巡洋艦隊に思わぬ幸運がおとずれました。
東郷艦隊に追われていた戦艦隊と遭遇したのです。
巡洋艦隊は戦艦隊と合流して、日本の巡洋艦隊と激しい戦闘が開始されました。
日本巡洋艦隊は戦艦を相手では勝ち目がないので、
ロシア艦隊の射程距離外に逃れます。
しかし、この海戦の砲声を聞きつけた日本艦隊が、現場に駆け付けました。
日本艦隊の突然の出現にロシア艦隊は驚愕します。
午後5時05分頃。
これに恐れをなしたロシア艦隊は退避行動を取ります。
やがてロシア艦隊は霧の中へ姿を消して行きました。