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戦場カメラマン

2022-07-10 13:04:04 | 写真
私が写真に目覚めたのは20歳の頃でした。
それから間もなく、日本中で学園紛争の嵐が吹きまくり、
その影響で写真学校を卒業したのは28歳と遅れてしまいました。

写真家への道を大きく2つに大別すると、
「コマーシャル系」と「報道系」とがありました。
私はコマーシャルといった分野には殆ど興味はなく、
それで、一応「報道系」といった分野で写真を学びました。

世間一般で言うと、報道というと何となく戦場カメラマンを思い浮かべると思います。
しかし、私は最初から戦場に興味を覚える事はありませんでした。
よく何か有名なお祭りがあると、腕に(PRESS)などという腕章を巻き付け、
そこどけ、そこどけ的に特権を振りかざし、何台ものカメラをぶら下げて、
大衆の目の前で写真を撮りまくるカメラマンを思い浮かべます。

彼等は自分が、そこで写真を撮る使命感に燃えています。
歌手が舞台で、レスラーがリングで、
そういった選ばれた舞台を与えられた人種の特権というのは、
その他大勢の人種とは全然違った意識に、身震いするほど燃えあがり、感動に打ち震えるのです。
それは味わった事のある人には分かるし、
味わう事は出来なくても、多分そうであろう事は、理解できると思うのです。

でも(戦場)という自分だけの舞台を与えられたからといって、
そこで(祭り)みたいに燃えあがれるかというと、それはトンデモない。
燃えあがる所か、自分が死なない様に身を護るのが精いっぱい。
でもそれだけだったら、いつまでも写真は撮れません。
そして撮った写真で世界中の多くの人達に、
その現実を伝えられなかったら、無意味になってしまうのです。
命がけ、しかしその代償は薄いのが現実です。
戦場カメラマンなどといっても給金は安いのですから。

平和で何の危険もないお国で、女性のヌードを撮っている方が、
何倍も何十倍も稼げるのですから。

戦場カメラマンは世界中に沢山いますが、
私が名前を知っているカメラマンは、たったの6人です。

外国人では、ロバート・キャパ、一人だけ。
日本人では、石川文洋、岡村昭彦、沢田教一、一ノ瀬泰造、渡辺陽一。



ロバート・キャパはベトナム戦争で40歳で戦死。



一ノ瀬泰造はカンボジア紛争で26歳で死に、



沢田教一はベトナムで34歳で逝きました。
彼の横の写真はベトナム戦争で撮り、
報道写真家としての最高賞である、ピューリッツァー賞を撮った、「安全への逃避」

自分の命と引き換えに、使命感に燃えてカメラマンで居られるか?
いえ、私にはそんな根性も使命感もありません。
それほどの危険を冒してでも、世界に現実を伝える使命感で、
居られるるか・・私にはそんな写真家魂はありません。



先日、テレビに渡部陽一が出演していましたが、
顔を見れば優しい男。
こんなやさ男が、生きるか死ぬかの世界に身を置いて撮っている。
凄いと思いました。
自分が絶対に出来ない事をやっているという事実には頭が下がります。

戦場カメラマン・・彼等は本当に凄い人達だと痛み入ります。


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2 コメント

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カメラを持つと (tachinon)
2022-07-10 18:48:37
現役の頃、災害現場に調査に行くんですね。まあそういうところは、戦場とはまた違った危険があるんですが、カメラマンでもないのに、何故かカメラを持ったら怖いものがなくなる・・・という気分が湧いてくるというのを何度か経験しましたね。とはいえ、確実にアブナイ、ガスのたまったマンホールみたいなところはヤバいんですが、崖崩れみたいなところは、そうでもなかった。その頃、なんとなく戦場カメラマンってそういう感じなのかなぁ・・とおもったことがありましたね。
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なるほど (河童)
2022-07-10 19:29:12
カメラを持つと怖くない・・なるほどね。
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