私がアルプスで最も好きな山は、穂高岳、槍ヶ岳なんです(ミーハー趣味)
それほど何度も行ってる訳ではありませんが、
いつも、そこに向かって登るルートを採っています。
憧れの嶺を仰ぎ見ながら登る方が爽快ですから。
初めて登ったのは有名な(表銀座コース)で、
絶えず段々と近づく槍ヶ岳の雄姿を観ながらの登山は、本当に爽快でした。
また私は登山記録を何も残していないので、
一体いつ行ったのか、タイムはなどというのもまるで残っていません。
その時にはメモしていたのですが、どこかに埋もれてしまいました。
元来が緻密さとは無縁の男ですので、それも仕方ありません。
ある時、奥穂高から北穂高に向かっていた時、
「あれ、おかしいな~?なんか変だぞ」と思っていたら、
数百メートル離れた反対側の尾根から、男性が大声で、
「おーい、そっちはコースじゃないぞー、道を間違えてるぞー」という指摘。
ビックリすると同時に内心青くなって引き返した事もありました。
あんなルートを間違えにも気づかず頑張って行ってしまったら、
その内、進退窮まって滑落してしまいます。
ある時、奥穂高山荘に泊っていた単独行の私は、サロンに居ました。
多くの登山者たちが談笑していました。
明日は家族で(夫婦と小学生の男の子2人)が、
北アルプス最難関ルートとして有名な、西穂高岳へ行くと話していました。
私は小学生2人を連れて行くなんて、無謀だと思いました。
その話を聞いて、大いに心を動かされていた若い女性がいました。
彼女は山が好きで好きでといったタイプなんですが、
西穂高へのコースの危険性は理解しているらしく、
地団駄踏んで口惜しがっていましたが、自分には太刀打ち出来ない事は解かっているのです。
実を言うと私も彼女と同じで、行きたくても行かれないという事は分かっていました。
それなので彼女の口惜しさは私も同じだったのです。
北穂高の時と同じで、もしコースを間違えたりしたら一巻の終わりと理解していたし。
しかし、それから何年後だったか、
私は遂にそのルートを踏破する事になりました。
上高地で登山届を書き込む時の、武者震いは忘れません。
もう、何が起ころうと責任は自分自身だと強く自覚したのでした。
奥穂高岳の標高は日本第3位の3190メートル。
西穂高山荘は2367メートル。
標高差は823メートルです。
823メートルといってもダラダラとした登り坂ではありません。
何度も何度も上り下りを、嫌という程繰り返しての823メートルなんです。
だったら上から下へと向かった方が体力的には楽です。
しかし、それが分かっていながら登りルートを採ったのは?
ある一枚の写真が決め手でした。



それは天狗岳の登りに在る、逆層スラブです。
スラブというのは表面に凹凸の無い、滑りやすい一枚板の事で、
もし、表面が濡れていたら、その下りは死ぬほど怖い。
しかし登りだったら・・それしかない。
西穂高岳から奥穂高岳に行くならと山渓の写真集を買って見たのですが、
何と言ってもこの逆層スラブだけが頭に引かかって、
それで私はキツイ823メートルの登りルートを採ったのでした。
実際にその場に行った時「ここの下りで雨だったら絶対に死ぬ」と思いました。
ロープも鎖もなく、頼れるのは自分だけ。
「あ~俺の読みは正解だった」と心底思いました。
丁度天気は快晴で懸念は何もなく本当にラッキーでした。
しかし、登山は、特に単独登山は慎重すぎるほど慎重が正解なのですね。
もう2度と行く事のない、
というか行きたくても絶対に無理だと思う、あのルートを思うと、
あれは登山者として最高に幸せだった瞬間だと、そう思うのです。
逆層スラブ、あれは恐かったけど、
俺の登山人生のピークが、憧れの奥穂高岳だったという事に、
シアワセと感謝を感じるのです。
ありがとう、穂高。最高でした。
それほど何度も行ってる訳ではありませんが、
いつも、そこに向かって登るルートを採っています。
憧れの嶺を仰ぎ見ながら登る方が爽快ですから。
初めて登ったのは有名な(表銀座コース)で、
絶えず段々と近づく槍ヶ岳の雄姿を観ながらの登山は、本当に爽快でした。
また私は登山記録を何も残していないので、
一体いつ行ったのか、タイムはなどというのもまるで残っていません。
その時にはメモしていたのですが、どこかに埋もれてしまいました。
元来が緻密さとは無縁の男ですので、それも仕方ありません。
ある時、奥穂高から北穂高に向かっていた時、
「あれ、おかしいな~?なんか変だぞ」と思っていたら、
数百メートル離れた反対側の尾根から、男性が大声で、
「おーい、そっちはコースじゃないぞー、道を間違えてるぞー」という指摘。
ビックリすると同時に内心青くなって引き返した事もありました。
あんなルートを間違えにも気づかず頑張って行ってしまったら、
その内、進退窮まって滑落してしまいます。
ある時、奥穂高山荘に泊っていた単独行の私は、サロンに居ました。
多くの登山者たちが談笑していました。
明日は家族で(夫婦と小学生の男の子2人)が、
北アルプス最難関ルートとして有名な、西穂高岳へ行くと話していました。
私は小学生2人を連れて行くなんて、無謀だと思いました。
その話を聞いて、大いに心を動かされていた若い女性がいました。
彼女は山が好きで好きでといったタイプなんですが、
西穂高へのコースの危険性は理解しているらしく、
地団駄踏んで口惜しがっていましたが、自分には太刀打ち出来ない事は解かっているのです。
実を言うと私も彼女と同じで、行きたくても行かれないという事は分かっていました。
それなので彼女の口惜しさは私も同じだったのです。
北穂高の時と同じで、もしコースを間違えたりしたら一巻の終わりと理解していたし。
しかし、それから何年後だったか、
私は遂にそのルートを踏破する事になりました。
上高地で登山届を書き込む時の、武者震いは忘れません。
もう、何が起ころうと責任は自分自身だと強く自覚したのでした。
奥穂高岳の標高は日本第3位の3190メートル。
西穂高山荘は2367メートル。
標高差は823メートルです。
823メートルといってもダラダラとした登り坂ではありません。
何度も何度も上り下りを、嫌という程繰り返しての823メートルなんです。
だったら上から下へと向かった方が体力的には楽です。
しかし、それが分かっていながら登りルートを採ったのは?
ある一枚の写真が決め手でした。



それは天狗岳の登りに在る、逆層スラブです。
スラブというのは表面に凹凸の無い、滑りやすい一枚板の事で、
もし、表面が濡れていたら、その下りは死ぬほど怖い。
しかし登りだったら・・それしかない。
西穂高岳から奥穂高岳に行くならと山渓の写真集を買って見たのですが、
何と言ってもこの逆層スラブだけが頭に引かかって、
それで私はキツイ823メートルの登りルートを採ったのでした。
実際にその場に行った時「ここの下りで雨だったら絶対に死ぬ」と思いました。
ロープも鎖もなく、頼れるのは自分だけ。
「あ~俺の読みは正解だった」と心底思いました。
丁度天気は快晴で懸念は何もなく本当にラッキーでした。
しかし、登山は、特に単独登山は慎重すぎるほど慎重が正解なのですね。
もう2度と行く事のない、
というか行きたくても絶対に無理だと思う、あのルートを思うと、
あれは登山者として最高に幸せだった瞬間だと、そう思うのです。
逆層スラブ、あれは恐かったけど、
俺の登山人生のピークが、憧れの奥穂高岳だったという事に、
シアワセと感謝を感じるのです。
ありがとう、穂高。最高でした。
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