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神田正輝のこと

2024-01-16 13:54:08 | 日記


神田正輝 1950年生、73歳
若い頃の彼は、本当に美男子(言葉が旧い)ですね。
それもそのはず、彼は美人女優だった旭輝子の息子ですから。
その相手は一般男性で写真はありません。
彼等は正式な結婚をしていない、事実婚だったみたいです。

神田正輝はテレビ朝日、日曜日朝8時からの、「旅サラダ」でよく観ています。
妻がその番組が好きで、私も一緒になって毎回観ています。
私は(最近の)芸能界は殆ど知らなく、
神田正輝も顔は出ているのに、名前が出てこないなんて、しょっちゅうです。



その神田正輝が、昨年11月18日から番組をお休みしています。
テレビでは「神田正輝が72歳で初めて身体のメンテナンスに入りました」
などと言っていますが、その後の経過はまるで言いません。
硬く口を閉ざしています。

しかし、数年前の写真と、現在の写真を見ると、
ほぼ全ての人は「はは~ん、これはガンだな」と感じているのでしょう。
そのくらい、彼の極度の痩せ方、老け方は半端ではありません。

かつて178センチあったという身長も、
共演の勝俣州和の171センチ程度しかありません。
人間はここまで変わるものかという、生きた見本みたいな姿です。

何でこんなになっちゃうの?
これは一体どうしちゃったの?
といった疑問から神田正輝の事をググってみました。

石原裕次郎からスカウトされる形で芸能界に入り、
1980年~1986年「太陽にほえろ」に出演して名をあげます。
1985年(35歳)で、松田聖子と結婚しました。
その翌年に、長女、神田沙也加が生まれます。
しかし、12年後の1997年に彼等は離婚してしまいました。

離婚後の、何だったかの席に、
神田正輝と松田聖子が顔を合わせる事があったみたいですが、
娘の沙也加は、何とかして彼等を一緒に笑わせたい、
楽しい雰囲気にしたいという願望があったみたいです。
子供にとって一番嬉しいのは、お父さんとお母さんの仲がいい事です。
夫婦が仲睦まじくイチャイチャしてラブラブ、こんな素晴らしい事などないのです。
しかし、現実は・・沙也加の夢は・・

離婚した年に、テレビ朝日の「旅サラダ」が始まりました。
神田正輝はその総合司会を務める事になります。
一見順風満帆に見えたのですが、
そのさなか、たった一人の愛娘、神田沙也加が、
2021年、35歳で自殺をしてしまいました。

芸能界の事など全然知らなかった私ですが、
沙也加という一人娘は、三角関係に悩んでいたみたいです。
三角関係・・これは私にも経験があるのです。
あれほどつらい事はありません。
そのつらさに毎晩、飲めない酒をあおり、現在の飲んべーの私が出来上がったのです(バカ)

私は神田正輝の結婚年齢(35)を超える、40歳で初めての結婚をしました。
愛娘が生まれたのは、44歳の事でした。
離婚したのは50・・(?)歳くらいでした。思い出したくないのです。
その時、愛娘は10歳くらいだったか。

離婚後の人生は、私には地獄でした。
全てが空しく、寂しく、悲しく、切なく、生きている意味が無かったのです。
でも、歌声喫茶という新しい趣味を知り、
そこで知り合った女性と、これからの人生共に過ごす事になった時の嬉しさ。
妻には心から「ありがとう」と感謝の気持ちしかありません。

しかし神田正輝は、そうはなりませんでした。
たった独りでの人生。
こんな空しい人生はありません。
人間は、男と女が、好きあって一緒の人生を送る、
それがいいのです。それが人生というものなんです。
その結果、子供が生まれる・・自然の摂理。

現在の神田正輝を思うと・・・
男として、一人の人間として、分かるのです。
彼の気持ちが分るのです。

美男子だとか、高収入だとか、スターだとか、
そんなもん、ど~でもいいんだよな。
一人の男として、人間として、
「あ~、俺は幸せだな~」と思える事、それが全てなんですね。

でも、そういうのって失敗があるから感じるのか?
だったら失敗の無い人生の方がいいのか?

神田正輝には、復活して新しい人生をおくって欲しいねと、心から思っています。

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