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戦艦ロイヤルオーク撃沈

2023-06-22 15:12:34 | 軍艦






1939年(昭和14年)10月14日。
侵入は不可能と思われていたイギリスの軍港、スカパフローに停泊中の、
戦艦ロイヤル・オークがドイツの潜水艦の攻撃で撃沈させられました。

この軍港は天然の要塞でもあり、イギリスは更に軍港の出入り口を、
様々な手段で封鎖しており、ドイツ艦の侵入は不可能と考えられていました。



1939年10月初め、潜水艦Uー47艦長、ギュンター・プリン大尉は、



ドイツ潜水艦隊司令官、カール・デーニッツ大佐(後の提督)に呼び出されます。
潜水艦によるスカパフロー軍港の攻撃は出来ないだろうか?
スカパフローは防潜網や警備艇によって厳重に防備されているだけでなく、
潮流が激しく、水中速度の遅い潜水艦での侵入は不可能と考えられていたのです。
しかしデーニッツはあきらめ切れずに様々な情報を収集していました。
最も北側のカーク水道(幅1キロ程度の狭い水路)は、
何隻かの沈船で閉鎖されてはいるが、侵入可能に思えました。



プリーン大尉はデーニッツの資料を熟慮した結果、この作戦を引き受けます。
作戦決行は10月13日~14日の夜間に決められました。
10月8日、プリーン大尉の潜水艦Uー47は、ドイツのキール軍港を出発。
10月13日早朝、Uー47はオークニー諸島東方沖合に沈座して時間になるのを待ちます。



戦艦ロイヤルオークは、ロイヤル・ソヴェリン級、第5番艦。
1914年1月竣工。
29150トン、全長190メートル。

プリーン大尉は狭い水道の沈船との衝突を避ける為に、
潜航せずに浮上した状態で敵から発見されにくい深夜の浮上航行を図ったのです。
それは14日午前0時27分の事でした。
そして戦艦ロイヤルオークを発見、艦首から3本の魚雷を発射しました。
1本の魚雷が命中したのですが、乗組員は何事が起ったのかと様子を見ているだけでした。
(まさか、侵入不可能と言われるスカパフローに敵が来るとは考えてもいなかったので)
プリーンは艦を回して、今度は後部発射管から1本の魚雷を発射しましたが、
これは命中しませんでした。
プリーンは一旦南に回避し、その間に魚雷を再装填し、再び戦艦に戻って来ました。
そして午前1時23分に3本の魚雷を発射。
3分後にロイヤルオークは大爆発し、わずか13分後に転覆、沈没したのです。

プリーン大尉のUー47は元来た道を引き返し、
午前2時15分にスカパフローから無事、脱出しました。

10月17日、Uー47はドイツ、キール軍港に帰還しました。
イギリスの戦艦を撃沈した彼等は英雄として、レーダー大佐に迎えられ、
翌日にヒトラー総統に謁見を受けたのでした。

その後もプリーン大尉は素晴らしい戦果、
28隻撃沈、総トン数16,5万トンの、潜水艦のエース艦長となったのです。



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