

1859年。
イギリスで前代未聞の巨大な船が誕生しました。
名前は、グレート・イースタン号。
全長・約211メートル。全幅・約36メートル。
総トン数・約19000トン。
当時の船はまだ3000トン程度の木造船であり、
まさに常識外れの桁外れに巨大な船でした。
動力は両舷の外輪と、船尾に取り付けられたスクリューでした。
最高速度は時速24キロ。
ただ、この時代のエンジンを動力とする船は、その信頼性がまだまだだったので、
帆走装置も取り付けられていました。
この巨大な船の建造目的は、
オーストラリアの羊毛と農産物をイギリスへ運び、
イギリスからはオーストラリアへの移民を運ぶ為でした。
しかし、何故ここまで大型化する必要があったのでしょう?
それは全行程2万キロにおよぶ航路を、途中無寄港で走破する事が検討されていた為、
大量の石炭(当時は石油ではなく石炭だった)を搭載する必要があった為です。
しかしグレート・イースタンがその目的航路を走る事は一度もありませんでした。
あまりにも長距離の航路を走る信頼性がまだ無かったのです。
その為に、仕方なく北大西洋航路を走る様になったグレートイースタン号は、
わずか10航路を行っただけで係船されてしまいました。
この巨大な船を扱える技術が不足していたり、
当時のボイラーの燃焼効率の悪さから、
膨大な石炭の量が必要で、とても採算が合わなかったのです。

完成から10年後には、そのあまりの大きさゆえに使いこなす事が出来ず、
どこの海運会社も、この船を見限ってしまい野ざらし状態でした。
この船には就役当初から不思議な話が付きまとっていました。
航海のたびに船内をハンマーで叩く様な音が聞こえるのです。
結局この音はグレートイースタン号が就航している間中、絶えず鳴り響いていたのです。
船員たちはこの気味の悪い音に悩まされ続けていました。
完成から29年後の1888年(明治21年)に、
グレート・イースタン号は、とうとう解体されてしまいました。
その最中に事件は起きたのです。

船体は上部から解体されてゆき、下部の二重構造の舷側の解体が始まって間もなく、
二重構造の幅1メートルの隙間から人骨が発見されたのです。
その人骨は朽ち果てた作業服を着ていて、そばに彼の雑用袋が転がっていました。
実は建造中のある日、
一人の作業員が行方不明になる事件がありました。
彼の行方は杳としてつかめず、いくら探しても発見できず、迷宮入りになってしまったのです。
作業袋の文字をたどると、それはまさに行方不明になった鋲打ち工の名前だったのです。
何かの手違いから二重構造の隙間に閉じ込められた彼に誰も気づかなかったのです。
彼は恐らく必死になってハンマーを叩いて自分の存在を知らせたのでしょうが、
建造中の船では四六時中、ハンマーで鉄板を叩く音が聞こえていたので、
誰にも気づかれないままに水も食料もなく体力が尽きて死んでしまったのでしょう。
彼の無念さが船体をハンマーで叩き続き続け、
あの気味の悪い音となっていたのでしょうか?
いえ実際は、それまで未経験であった鉄製の巨大な船を建造した為に、
鉄板の温度変化によるゆがみの逃げ道などが充分に考慮されていなかったので、
大面積の鉄板が毎日の温度差によるゆがみが、音として表われた事だったのです。
しかし、いくらハンマーで自分の存在を必死で知らせても、
誰も気づいてくれないのですから、彼は気が狂いそうな恐怖だったでしょうね。
恐ろしくなる、実に可哀想な出来事でした。
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