
私達夫婦は歌声喫茶に通う時によく分倍河原駅で乗り換えをします。
京王線と、JR南武線が交差する駅です。
横浜に住んでいた時は、分倍河原という駅名も存在も、
全く知らない無関係の駅でした。
JR南武線のホームに行くと駅前広場があり、
そこに大きな騎馬像があります。
最初はそれが誰であるかなど知るよしもなかったのですが、
気になるので調べたら、新田義貞と分かりました。
新田義貞の事は少し知っていました。

「鎌倉」という歌があります。
七里ガ浜の磯づたい、 稲村が崎名将の、
剣投ぜし古戦場。
鎌倉幕府を攻め落とそうと進軍してきた名将(新田義貞)は、
稲村ケ崎に来た所、その丘は急峻で登れない、
ならば磯伝いにと考えたのですが、波が荒く進軍できない。
それならばと名刀を海に投げ入れ、神よと祈ったところ、
その祈りが通じたのか、磯づたいの道が開け、
鎌倉へ進軍する事ができたという話は知っていたからです。
しかし、その新田義貞という人がどんな人だったのかはよく知らない。
新田義貞の本名は源義貞といいます。
つまり彼は源氏だったのです。
1333年5月8日。
群馬県太田市で鎌倉倒幕の旗を上げた新田義貞は、
一路鎌倉目指して進撃します。
一方、幕府軍は埼玉・入間川で新田軍を阻止する為に北上。
5月11日。
埼玉県・小手指ヶ原で合戦となります。
勝負は決しないまま、新田軍優勢のまま。
5月15日。
新田軍は、分倍河原で幕府軍と戦いますが大敗を喫し、
埼玉県・狭山市まで敗走します。
しかし、相模の三浦義勝らが参陣した事に意を強くし、
5月16日未明に分倍河原の幕府軍を急襲、
幕府軍は総崩れになり、新田軍の大勝利になります。

5月21日。
新田義貞は稲村ケ崎の海岸に到着。
そこで「鎌倉」の歌にあるとおりで鎌倉入りを果たしたのでした。
5月25日。
約140年間続いた鎌倉幕府は滅亡しました。
しかし、それから5年後、
1938年に新田義貞は38歳で悲劇的な死を迎えました。


また、稲村ケ崎には、1910年(明治43年)
「七里ガ浜の哀歌」で有名な、逗子開成中学生12名が、
七里ガ浜の海岸で遭難し、全員がなくなるという悲劇があり、
その遭難碑が建っています。
「真白き富士の嶺 緑の江の島
仰ぎ見るも今は涙
帰らぬ十二の雄々しき御霊に
捧げまつる胸と心」
この稲村ケ崎というと
人間機雷「伏龍」特攻隊の基地跡を
通るたびに思います。
極秘作戦のため、訓練中亡くなった方も
多かったようですが、秘密裏にされていたという
書籍を読んでから、いろいろなことを考えつつ
バイクで通っています。
そこに新田義貞が加わることになりました
伏龍・・全然知りませんでした。勿論その基地が稲村ケ崎に在ったなんて事も。
ネットで読むと、あまりにも馬鹿げた日本軍特有の自殺兵器。よくこんな馬鹿々々しい兵器を真面目に考えるものですね。
飛行機によるカミカゼ特攻隊攻撃を初めて兵士達に上官が伝えた時、パイロット達が歓声をあげたとか、燃え上がる様な士気に包まれたなんて事はまるでなく、全員が悄然として青ざめて黙りこくってしまったそうですが、伏龍の兵士達も同じか、それ以上に悲しい思いがしたのでしょうね。
以前にも書きましたが、私がもし兵隊に行くとなったら、絶対に日本軍はイヤですね。
今度、稲村ケ崎に行く事があったら、その基地跡を探してみます。
伏龍は、かなり極秘裏にされていた悲しい作戦で
実際には発動されてませんが、訓練時にかなり
亡くなられているようです。
戦後、かなりたってから表に出てきてた話ですし
生き残りの方が、老いてからぽつりぽつりと
話を始めたことから表に出てきたようです。
稲村ケ崎の写真で、一番手前側あたりにも
防空壕跡があったような、、記憶が(^-^;
防衛はともかく、戦争というのは
人の一番愚かなものが噴き出すものなのでしょうね、、、
これからも、ブログ楽しみに拝見させていただきます!
そんな時代に生まれてくなくて本当に良かった、ラッキーだったという事です。
現実でも、人間関係の悪い人とのイザコザは誰しも経験している事でしょうが、言ってみればそれがそもそもの戦争の発端かも知れません。
戦争は絶対にダメッ!戦争だけは絶対にやってはいけませんね。自殺兵器・伏龍・・そんな馬鹿げた事を考えるようになったら、もう終わりですね。
いろんなことを広い目で見て
考えて動ける教育
特攻も伏龍も
それでも守りたいという思いがあったのかと
思うと、悲しく切なくなります。
きっと、守りたい気持ちがつよく
赤鬼とか、米国人をたとえ
本土決戦になると、女子供がひどい
おもいをして殺されると教えられていたからでしょうか、、、、
けっして、美化してはならないですが
思いは忘れてはならないのかと思うと
むずかしいことです。。。
伏龍というのは、戦記物を人より多く読んできたと思っていた私も知りませんでした。
戦争というのは狂気ですね。負けたくないという一念は、とんでもない事を考えてしまうのですね。