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戦艦・金剛

2020-10-10 05:50:49 | 軍艦


戦艦金剛は、日本に於ける近代的戦艦の幕開けとなった戦艦でした。
1911年(明治44年)起工。
基準排水量26330トン。
世界に先んじたナンバーワンの巡洋戦艦として誕生しました。

日本海軍では、戦艦の名称は旧国名を使います。
(大和・武蔵・陸奥・長門・・)
しかし、金剛は旧国名ではなく、山岳名です。

山岳名は巡洋艦に付けられる名前です。
金剛は最初は戦艦としてではなく、巡洋艦扱いで設計された軍艦でした。
巡洋艦扱いと言っても、完全な巡洋艦ではなく、
いわゆる巡洋戦艦として建造された船でした。

戦艦と巡洋戦艦との違いは、
船体の大きさは同じ、主砲の大きさも同じ。
しかし、戦艦の速度が遅いのに比べ、巡洋戦艦はもっと速いのです。
それはスピードこそ最大の防御という考え方からきています。
その考え方が誤りだったという事実は、その後の海戦がそれを証明します。
巡洋戦艦は純粋な戦艦に比べ馬力のある大きなエンジンを積んでいます。
しかし、その為に防御装甲の厚みが薄く出来ているのです。
装甲の薄さ故に悲劇的な最期を遂げた巡洋戦艦は複数います。
それが致命傷で、巡洋戦艦という艦種は命運を断たれていきました。

金剛型戦艦は、
その後2番艦として「比叡」が建造され、
3番艦は榛名、4番艦は霧島が建造されました。
ただ、金剛だけはイギリス製の戦艦であり、
以後の3隻はイギリスの建艦技術を習得した、純国産の戦艦となりました。
金剛はそういった意味で、日本最後の外国製の戦艦となったのです。



1924年(大正13年)から、1931年(昭和6年)にかけて、
金剛型戦艦4隻は第二次改装を施しました。
薄い装甲を分厚い装甲へと改造し、それが為に速度は遅くなり、
巡洋戦艦とは呼べなくなって、純粋な戦艦となったのです。



1937年(昭和12年)になると、
金剛型戦艦は第二次大改装を行います。
この改装は今まで以上に大がかりな改装でした。
エンジンを乗せ換えたのです。
64000馬力から136000馬力と2倍以上になり、
これによって低下していたスピードは一気に増え、
30ノット(時速55キロ)になったのでした。

金剛級戦艦は、これによって高速戦艦と呼ばれる様になり、
そのスピード故に太平洋を所狭しと八面六臂の大活躍をする様になります。
戦艦・山城・扶桑が24ノット(時速44キロ)というあまりの低速に、
出番がなく不遇を囲っていたのとは大違いです。

日本の戦艦12隻の中で、金剛級ほど大活躍した戦艦はありません。
しかし、その活躍故に被害に遭う確率も高く、
日本戦艦の中で最も早くに撃沈されたのは、比叡でした。

1942年11月。
第三次ソロモン海戦で比叡はアメリカ軍の集中攻撃により沈没。
同じく霧島もアメリカ戦艦群の集中レーダー攻撃により沈没。
1944年11月。
金剛はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃により台湾で沈没。



ただ1隻となって生き残った戦艦・榛名は、
燃料も無く呉軍港で息をひそめていましたが、
アメリカ軍機の攻撃になすすべなく大破着底し、
その憐れな姿を惨めに晒すばかりでした。

太平洋を所狭しと駆けずり回った金剛型戦艦。
その4隻は日本戦艦ここにありとアメリカ軍に知らしめ、
日本海軍の誇りでもあったのです。
決して戦艦大和ではなかった、それが金剛型戦艦でした。






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