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みかんの花咲く丘・誕生秘話

2022-12-13 09:48:54 | 歌声喫茶
みかんの花咲く丘 川田正子


この歌が生まれた経緯を、
同志社女子大学のブログを参考にして書いていきたいと思います。

この歌の作曲者は、歌声喫茶でもお馴染みの海沼實氏です。
海沼實氏は「里の秋」が大ヒットした翌年(昭和21年)、
静岡県伊東市で放送されるNHKラジオ「空の劇場」という番組で、
童謡歌手、川田正子に唄わせる曲を依頼された(8月25日放送)のですが、
伊東にふさわしい曲、それも歌詞が見つかりませんでした。
たまたま川田正子(12歳)を取材に来ていた作詞家、加藤省吾が、
静岡県・富士市出身である事を知った海沼實は、
地獄に仏とばかり加藤に作詞を懇願しました。

明日、放送する予定の歌詞を、その場ですぐに書いてくれという無茶な依頼でした。
しかも、海沼から加藤に対して、
伊東の丘に立って、海には島と船が浮かび、船には黒い煙を吐かせて欲しいという、
注文までついていたのです。
加藤はそれをわずか30分で3番まで仕上げたそうです。

➀  みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道
   はるかに見える青い海  お船が遠くかすんでる
➁  黒い煙を吐きながら  お船はどこへ行くのでしょう
   波に揺られて島のかげ  汽笛がぼうと鳴りました
③  いつか来た丘母さんと  一緒に眺めたあの島よ
   今日もひとりで見ていると 優しい母さん思われる

完成した詞を受け取った海沼は、川田正子を連れて伊東行きの列車に乗り込み、
列車の中でその詩に曲を付けなければなりません。
しかし、小田原を過ぎてもまだ曲想が浮かびません。
熱海に近づいた頃、窓外のみかん畑の景色を見ているうちに、
ふと頭にメロディーが浮かびました。
そして伊東駅に着く前に完成したのです。
その間わずか30分でした。

作詞30分。作曲30分。
たった1時間で国民的な名曲が出来上がってしまうなんて・・絶句。
それが今では日本人の心を揺さぶり、多くの人々の涙を誘う歌となるなんて。
本当にその素晴らしい才能の彼等には、感謝しかありません。

この歌にはもうひとつの秘話があります。
3番の「やさしい母さん」が、一時「姉さん」に改訂されました。
その理由は、戦争で母を亡くした子供がたくさんいたからとの事です。
でもやはり「母さん」の方がいいと元に戻したそうです。





先日(12月10日)に、前日行われた(伊東の歌声喫茶)の帰りにこの歌碑を見に行ったのです。
1981年(昭和58年)に創設されたそうで、
国府津駅と、伊東駅の発車メロディーにもなっているそうです。

宇佐見駅から車で15分。
国道19号線(宇佐見大仁道路)の亀石峠の2キロくらい手前の道路脇にありましたが、
ぼんやりしていると気づかずに見過ごしてしまう歌碑で、
私達が空きスペースに車1台停めるのがやっと。
亀石峠から下ってくると、全く気付かないで見過ごしてしまうでしょう。
国民的名曲の歌碑がこれというのは、如何にも悲しい。
伊東市は、「みかんの花咲く丘」公園を造るべきだと思います。
観光バスが何台も停まれる公園を造って、
この歌が如何に日本人の心に浸透し涙する歌であるかと、世間に訴えるべきです。
この稀代の名曲を風化させてはならないと、私は思うのです。

以前、とある歌声喫茶で私は前に出てこの歌を唄ったのですが、
ひとりの女性が涙ぐんでしまいました。
司会者が「あ~あ河童さん、女性を泣かせちゃって」と私を冷かしました。
そうなんです、添付した動画でも泣いていた女性が写っていましたね。
この歌を聴いて泣いてしまう人は珍しくない、というくらい心を打つのです。
それは、やっぱり3番の歌詞「やさしい母さん思われる」なんでしょうね。
実は私もこの歌はジーンとするのです。

「みかんの花咲く丘」の動画は検索すると沢山出てきますが、
私はこの、utabito 2017さんがアップしているこの動画、
これ以外の動画を観る気がしません。
これは本当に素晴らしい動画ですね。

「みかんの花咲く丘」は、日本人の心にいつまでも残る名曲で、
いつまでも、いつまでも唄い続けていきたい歌ですネ。




  
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