河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

インフルエンザに負けた軍艦

2023-02-11 05:44:30 | 軍艦


第一次世界大戦が終結した直後の、
1918年(大正7年)12月、世界で猛威を振るっていたスペイン風邪が、
日本の巡洋艦「矢矧」(やはぎ)の乗り組員にも伝染、
その後大半の乗組員が罹患し艦の運行が出来なくなるという事件が発生しました。

(スペイン風邪・・1918年~1920年にかけて世界的に大流行した風邪。
全世界で5億人が感染し、死者は1億人を超えたといわれました)

軽巡洋艦「矢矧」は1912年(明治45年)完成。
排水量4400トン、全長134メートル。乗組員414名。

1918年10月、第一次世界大戦をインド洋で哨戒任務にあたっていた矢矧は、
任務の交代になり日本への帰路につきました。
その途中に乗組員の休養も兼ねてシンガポールへ数日間、停泊しました。

シンガポールを出港して数日後から、艦内にスペイン風邪らしき症状を見せた、
乗組員が多数現われたのでした。
矢矧がシンガポールを出港したのは11月末でしたが、
数日中には艦内の罹患者が急速に増えだしたのです。
艦長や航海士までもが高熱の為に任務に就く事ができない状態になり、
艦はそれ以上の航海を不可能にする事態になったのです。

矢矧はついにフィリピンのマニラに緊急停泊を余儀なくされました。
かろうじてマニラに入港したのですが、必要な要員の配置もままならず、
罹患者が高熱を押して操艦し、ようやくヨタヨタと夢遊病者状態で停泊できたのでした。

日本への緊急連絡により、交代要員が急遽、マニラに送り込まれました。
艦内の重症罹患者140名はただちにマニラの病院に運ばれました。
スペイン風邪で命を落とした、矢矧の罹患者は副艦長を含め48名に達したのでした。
軍艦という逃げ場のない檻の中で、伝染病患者がどんどん増えていくという恐怖。

なんだかコロナに悩まされている、我々歌声喫茶仲間たちには、
彼等の苦悩に共鳴できる事件ですね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする