「悪太郎」山内賢 和泉雅子 (1963年)
今東光、1898年(明治31年)~1977年(昭和52年)享年79歳。
横浜で、日本郵船の船長だった父親の下、3人兄弟の長男として生まれました。
父の転勤に沿い、小樽・函館・横浜・大阪と転居し、10歳より神戸で育ちます。
この頃、父親の影響もあって文学に関心を持ち、かなりの早熟であったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c2/845e85832295d551fcae0c1e34382624.jpg)
牧師の娘と交際した事などから中学3年で退学。
兵庫県豊岡中学に転校しますが地元の文学少女と恋愛した事から素行不良とされ退学処分。
これ以後、正規の教育を受ける事はなく、独学だったそうです。
(今東光の自伝的映画「悪太郎」は1963年の日活映画であり、
若き日の私は映画館で観たのですが、
主演の山内賢の名演技に魅了され、また悪太郎の破天荒ぶりに圧倒されました。
もう一度観たいと思っているのですが、もう無いみたいですね)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3c/1fa2d913d1fc0844f9d95d5b5fe3d0e1.jpg)
1915年(17歳)
上京して小石川の叔父の家に寄食。
画家を目指しますが断念。
この頃、あの(宇野千代)と交際。
1918年(20歳)
谷崎潤一郎を生涯の師と仰ぐ事になります。
文学に力を注ぎ、作家としての地位を得ました。
菊池寛が今東光と対立します。
1923年(25歳)
関東大震災の時に、一緒に逃げ歩いた帝国劇場の女優である人妻と結婚。
やがて妻の嫉妬と独占欲により、文壇と距離を置き、
妻の実家があった茨城県結城郡に独居。
同地の住職の知遇を得て常設秘書をする。
1930年(32歳)
比叡山で3年間の修行。各地で住職をしながら文学書を発表。
1945年(47歳)
離婚。
1946年(48歳)
再婚。
1956年(58歳)
裏千家の機関紙「淡光」に1年間連載していた「お吟さま」で、
第36回直木賞を受賞し文壇に復帰。
夫人いわく、この頃主人と檀家との話は「ケンカだ、博打だ、夜這いだ、女郎買いだ」
そればっかりだったそうです。(まさに生ぐさ坊主の面目躍如で、もうアングリですね)
1968年(70歳)
参議院に当選、1期務めました。
1977年(79歳)
病死。柴田錬三郎・黒岩重吾・野坂昭如・戸川昌子・吉行淳之介・井上ひさし・
梶山李之・椎名悦三郎・竹中労・安岡章太郎・藤本義一・田宮二郎・
そういった錚々たるメンバーとの交流があったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/13/0a25b9217e49052837bb3724beafee49.jpg)
今東光 「極道辻説法」&「和尚の遺言」
この稀代の生ぐさ坊主の全盛期は、そんじょそこらのヤクザなど、足元にも及ばぬ迫力がありました。
若い頃の破天荒ぶりを見ると、そりゃそうでしょ、
よくぞこんな破天荒なヤクザもんがお坊さんなどになれたもんです。
さすらいの唄 奈良光枝 歌/北原白秋 作詞/中山晋平 作曲【流行歌 レコード】
映画「悪太郎」の挿入歌「さすらいの唄」
これを聴くと、あの映画を思い出します。
もう一度あの映画を観たい。
今東光の破天荒な生き様が観たいですね。
今東光、1898年(明治31年)~1977年(昭和52年)享年79歳。
横浜で、日本郵船の船長だった父親の下、3人兄弟の長男として生まれました。
父の転勤に沿い、小樽・函館・横浜・大阪と転居し、10歳より神戸で育ちます。
この頃、父親の影響もあって文学に関心を持ち、かなりの早熟であったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c2/845e85832295d551fcae0c1e34382624.jpg)
牧師の娘と交際した事などから中学3年で退学。
兵庫県豊岡中学に転校しますが地元の文学少女と恋愛した事から素行不良とされ退学処分。
これ以後、正規の教育を受ける事はなく、独学だったそうです。
(今東光の自伝的映画「悪太郎」は1963年の日活映画であり、
若き日の私は映画館で観たのですが、
主演の山内賢の名演技に魅了され、また悪太郎の破天荒ぶりに圧倒されました。
もう一度観たいと思っているのですが、もう無いみたいですね)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3c/1fa2d913d1fc0844f9d95d5b5fe3d0e1.jpg)
1915年(17歳)
上京して小石川の叔父の家に寄食。
画家を目指しますが断念。
この頃、あの(宇野千代)と交際。
1918年(20歳)
谷崎潤一郎を生涯の師と仰ぐ事になります。
文学に力を注ぎ、作家としての地位を得ました。
菊池寛が今東光と対立します。
1923年(25歳)
関東大震災の時に、一緒に逃げ歩いた帝国劇場の女優である人妻と結婚。
やがて妻の嫉妬と独占欲により、文壇と距離を置き、
妻の実家があった茨城県結城郡に独居。
同地の住職の知遇を得て常設秘書をする。
1930年(32歳)
比叡山で3年間の修行。各地で住職をしながら文学書を発表。
1945年(47歳)
離婚。
1946年(48歳)
再婚。
1956年(58歳)
裏千家の機関紙「淡光」に1年間連載していた「お吟さま」で、
第36回直木賞を受賞し文壇に復帰。
夫人いわく、この頃主人と檀家との話は「ケンカだ、博打だ、夜這いだ、女郎買いだ」
そればっかりだったそうです。(まさに生ぐさ坊主の面目躍如で、もうアングリですね)
1968年(70歳)
参議院に当選、1期務めました。
1977年(79歳)
病死。柴田錬三郎・黒岩重吾・野坂昭如・戸川昌子・吉行淳之介・井上ひさし・
梶山李之・椎名悦三郎・竹中労・安岡章太郎・藤本義一・田宮二郎・
そういった錚々たるメンバーとの交流があったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/13/0a25b9217e49052837bb3724beafee49.jpg)
今東光 「極道辻説法」&「和尚の遺言」
この稀代の生ぐさ坊主の全盛期は、そんじょそこらのヤクザなど、足元にも及ばぬ迫力がありました。
若い頃の破天荒ぶりを見ると、そりゃそうでしょ、
よくぞこんな破天荒なヤクザもんがお坊さんなどになれたもんです。
さすらいの唄 奈良光枝 歌/北原白秋 作詞/中山晋平 作曲【流行歌 レコード】
映画「悪太郎」の挿入歌「さすらいの唄」
これを聴くと、あの映画を思い出します。
もう一度あの映画を観たい。
今東光の破天荒な生き様が観たいですね。