河童の歌声

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思い出の懐かしいカメラ

2022-02-24 15:29:14 | 写真


私のカメラ歴は、ヤシカ・エレクトロ35から始まりました。
自分でお金を出して初めて買ったカメラです。
しかし、標準色ではなく、あくまでもブラック(黒色)にこだわりました。
それが如何にもプロ的に見えたからです。(可愛かったね)
このカメラでは仕事先の各地で風景写真や自撮り写真を沢山撮りました。



その内に、いわゆる芸術写真に目が向いてきて、一眼レフがやはり欲しくなり、
選んだのは、アサヒ・ペンタックスSPでした。
それは後になって思うと、あまり理想的なカメラではなかったのですが、
私に色々な撮り方を教えてくれた懐かしいカメラです。



ペンタックスを離れた私は、いよいよニコンへと流れて行くのですが、
そんな中で一度だけ中型カメラを買いました。
それが、アサヒペンタックス6×7です。
あの重量感と、バシャッと響くミラーの反動音が素晴らしかった。

それにしても、カメラがフィルムからデジタルへと圧倒的な進化を遂げ、
もう二度と手に入らなくなってしまったカメラの多い事。



東京光学製の、トプコンREスーパー。
かなり高価な一眼レフでしたが、一度も見かけた事のないカメラでした。



コーワ(興和)SW。レンジファインダーですが、
28ミリの超広角レンズが固定されていた珍しいカメラでした。
現場監督が工事の証拠写真を撮るのに多用されたカメラでした。





マミヤは、こういった独特の中型カメラを作っていましたね。
これらのカメラはそれなりに見かけたものです。



ゼンザブロニカの6×6カメラ。
ハッセルブラッドが高くて買えない中型カメラファンから支持されました。





リコーは今ではコピー機が有名なのかな?
というか同じメーカーだったんだろうか?
あまり見かけないカメラでした。



富士フィルムも昔はカメラを作っていたんですよね。
今はどうなっているのか知りませんが。



ミランダ・・ありましたね~。
でも私は一度も見た事はありませんでした。



オリンパスペン。他のメーカーは何処も手をつけなかった、
ハーフサイズの一眼レフでした。
友人に持っている男がいましたが、36枚撮りが、72枚も撮れるカメラでしたね。



ペトリ。安さが売り物のカメラで、
写真入門の高校生あたりが持っていそうなカメラでした。
大人が持つとチョッと気恥ずかしい思いがしそうでした。

本当に懐かしい。
フィルムが無くなり電子になった時点で、カメラの形態は圧倒的に変わってしまい、
もうこういったカメラは中古店でしか見かけません。





私はカメラマニアではないので、
カメラを収集したり執着したりといった気持ちは無いのですが、
たった1台だけ、今でも欲しいと思うカメラがあります。
スイスの小型映画用カメラの、ボレックスです。
このカメラだけは手に取って触り、頬ずりをしたいくらいです。
新品というのは、多分もう製造していないと思うので、全部中古ですが、
大体の相場で20万円前後みたいです。
でも、それを買ってもただ眺めているだけなんですね。ヤレヤレ。


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朝焼け・夕焼け

2021-10-31 05:45:10 | 写真
夕焼けは、茜色といい、朝焼けは、曙色といいます。
そんな赤く染まる風景写真を並べてみました。



横浜、旭区・・朝焼け。





横浜、旭区・・夕焼け。



東京、荒川河口・・夕焼け。



東京、府中・・夕焼け。





宮城県、南三陸町・・夕焼け。
5年前の津波では、この海で800人の人達が亡くなってしまいました。
この美しい海で・・



横浜駅・・これは夕暮れです。



仙台市内・・朝焼け。



伊豆、下田・・夕焼け。





東京、府中の多摩川・・朝焼け。



東京、府中、京王線武蔵野台駅・・朝焼け。
2年前、日本のうたごえ祭典・京都に行った日の朝でした。



東京、府中・・朝焼け。


昔、家の近くを歩いていたら、素晴らしい夕焼けに遭遇しました。
今撮らなかったらダメだと大あわてになって、
通りがかりの車を停めて家まで(約150メートル)カメラを取りに、
乗せてもらおうとしたのですが、あっさりと断られてしまいました。
(ま、そりゃそうだよな、でも結局は間に合わなかったね)

山岳写真家の白旗史郎氏は、カメラマンの丁稚時代、19歳だったか、
師匠から「史郎、今行かなかったら間に合わないぞ」と言われ、
30キロのザックを背負って頂上まで走りに走ったそうです。
その時のタイムは遂に永遠に破れなかったと言いますから、
その時の走りが如何に物凄かったか・・・
(そりゃそうだけどさ~)

夕焼けのタイミングって、精々5分間程度なんですよね。
10分経つと全然変わっちゃう。
それだけに、素晴らしい朝焼け、素晴らしい夕焼けに出会った感激は大きいですね。

そういった瞬間のカメラマンって顔つきが変わっちゃう。
(いい女)に出会った時の顔つきは・・・


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私のカメラ遍歴

2021-10-17 08:11:08 | 写真
私が写真を好きになったのは、19歳か20歳くらいの時でした。
例によっての記憶力の悪さからあまり覚えていないのです。



初めて買ったカメラは、ヤシカ・エレクトロ35でした。
何故、これだったかはあまり覚えていませんが、
その風体が、本当は一番欲しかったライカを彷彿させる姿だった、のかもしれません。



そのライカがこれで、この画像では、
広角ファインダーを別途に上部に取り付けています。
これがね、もうカッコ良くてな~。
でも、その価格は、全く手が出なかった(涙)



それで私もライカを気取って広角ファインダーを取り付けました。
このカメラでは全国あちこちで記念写真を撮りました。
いつも小型三脚持参で、若かりし頃の私がいっぱい写っています。
タンスをかき回すと、そういった髪の毛フサフサ時代の俺が~・・



そのうち、写真好きは一層と高じて、
一眼レフなる(高級カメラ)が欲しくなり、
悩みに悩んで買ったのは、アサヒペンタックスSPでした。

イヤー嬉しかったですね~。
暇さえあれば手に取って撫でまわしていました。
そして、今までの記念写真と違って、
いわゆる芸術写真を撮るようになったのでした。

最初はそこらの風景写真から始まり、
そのうちに人物写真を撮る様になりました。
風景は文句を言いませんが、人物となるとイチャモンをつけてきたりします。
でも、私は人物写真こそ自分の本領だと感じる様になっていきました。



アサヒペンタックスを作っている旭光学という会社は、
日本で初めて一眼レフカメラを作った由緒あるメーカーです。
しかし、現在、会社はどこかに吸収されたか倒産したか、
とにかく現在は無くなってしまいました。
残念ですが、時代の流れに付いていかれなくなった企業の行く末は、
まあ、トップの力量がその会社の存続を決定するので、仕方ないですね。

そのペンタックスを使っているうちに、欠点が気になる様になりました。
まず、レンズ交換がスクリューマウントだった。
現在、レンズ交換にスクリューマウントを使っているカメラは皆無でしょうね。
現在はみなバヨネットマウントになっている筈です。

スクリューマウントはいわゆるネジで、レンズをネジみたいに、
くるくる回して交換しますが、
バヨネットマウントはワンタッチで交換できるのです。
これでは勝負になりません。

次に適切な光量を決める測光方式が、絞り込み測光だった点。
開放測光がそのままで計測できたものを、
絞り込み測光だと、その度に絞りの目盛りを合わせないと測れないのです。

私が公園のベンチでネジでレンズ交換をしている横で、
ワンタッチのバヨネット交換をやられると、ホントにイヤになりました。



そういった事でペンタックスを離れ、
次のカメラを買う事になったのですが、
そういった経験を基に選んだのは、日本工学のニコマートでした。
バヨネット交換、開放測光でした。

まあ、いいカメラだったとは思います。
しかし、何が何でもという程のカメラではなくフツーのカメラでした。



そして辿り着いたのが、
今でも名機としてその名を残す、ニコンF。
これは、本当に名機中の名機でした。
ファインダーの視野率100パーセント。(これは凄い)
コンクリートの上に落としても壊れない頑丈さ。
現在のプラスチックのデジカメなど、すぐにオシャカになります。
扱い易い操作性。
ただ自動カメラではなかったので、
シャッタースピードも絞りも全部自分でやらなければなりません。
そこが逆に自分なりの映像が出来るゆえんでもあったのです。
まあ、ファミリー写真などとは一線を画した、いわゆるプロ仕様でした。



その後は、ペンタックス67とかにも手を出す様になりますが、
そこらで私のカメラ遍歴は終焉となりました。

でも、私は写真という芸術が好きだったのであり、
カメラを収集するという趣味はなく、まあ、それもありかなと思う程度です。
ヤシカエレクトロ35なんかあれば、手に取って懐かしむかもしれませんが。

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組み立て暗箱

2021-10-15 06:21:41 | 写真
昔、組み立て暗箱と呼ばれた大型カメラがありました。
いえ、今でもあるのですが。
4×5(シノゴ)とか8×10(エイトバイテン)とか、
最大のになると20×24などと、フィルムサイズが50センチ×60センチなどという、
お化けみたいなのも有るそうです。





日本にもほんの僅かに制作会社がありました。
タチハラ・ナガオカ・トヨビュー・トプコン・・
中でもタチハラのマホガニー製のカメラは美しかった。



外国だと、最も有名なのに、
ドイツのリンホフ・スーパーテヒニカがあります。
しかし、これはあまりにも高価で手が出ません。
主にプロ写真家が使っています。
それに比べると日本製は安価で高性能と言われていました。

タチハラ製作所は立原正雄が1933年に創業した会社で、
その息子が後を継いで細々と営業していましたが、
2013年に廃業したそうです。
従業員5名で、その社長も亡くなってしまい、再建はあり得ません。

マホガニーの木は自然乾燥で3年もかかり、
一台を作りあげるには4年もかかるそうです。
こんな割りの合わないカメラ作りをしていたら、
時代の波に勝てる筈もなく、本当に良心的に作っていたのですね。

他にはトヨビューというカメラを作っているやはり小さな会社もあります。
大阪豊中市から、トヨという名前を採ったそうです。



こういった蛇腹を使ったカメラの特徴は、
下から仰いで撮った写真が上に行くと狭まっているのを、
まるで真横から撮ったみたいに上下の線が真っすぐに並行線になる事です。

しかし、その特徴も現在のデジカメは撮影後での補正が出来るみたいなので、
そうなると大型フィルムカメラの存在意義は、どうなってしまうのでしょう?
確かにその精密な描写力は凄いものがありますが、
それだっていずれデジカメが凌駕するんじゃないかと、
いや、既にそれを上回っているのかも知れません。
本当に消えゆくカメラなんでしょうか・・・



私が若い頃、勉強の為に使ったのは、
トプコン・ホースマンという4×5インチの蛇腹カメラでした。
トプコンは東京光学という会社製なので、
会社自体は現在もありますが、果たしてこんな採算割れする様なカメラを、
製造しているかは、分かりません。







以前、私はこういった大型カメラの精密描写力で撮りたかった物があります。
それは消えゆく昭和の家でした。
藁ぶき屋根の家とかは多くの写真家が撮っていますが、
何気ない一般家庭の家を撮りたかったのです。

もう、そんな情熱も失くなってしまったのですが、
タチハラとかの組み立て暗箱カメラを見ると、
たそがれて行く、昭和の家の懐かしさに、心が揺れるのですね。



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アートというお遊び写真

2021-04-21 16:17:20 | 写真
ずっと以前に買った、カシオのコンパクトデジカメ。
その中に(アート)という仕様が在ります。
普段それを使う事はまず無いのですが、チョッとそれを使って遊んでみました。
ただし、この仕様は面白い風景写真が撮れますが、
人物写真には、あまり使わない方がいいですね。
人物だとまるで変な写真になってしまいます。





























最近のカメラにはフィルム時代と違って色々な事ができます。
アナログのフィルムだったら絶対に出来ない事が簡単に出来てしまいます。
かといって、そういった変化球を多用すると嫌味になってしまう怖さもあります。
でも、たまには昔だったら絶対あり得ない遊びをするのも悪くはないですね。








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