私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

頼山陽と母

2008-02-24 13:12:31 | Weblog
 井山の宝福寺の雪舟の石碑についてお話した時、高尚先生の碑文の文面を見て、山陽先生は 
 「私は、かなは書かない」
 と、言ったと伝わています。
 山陽先生の「かな文字」は、漢字に比べて迫力美しさに欠け、書く自信が無かったからお断りしたのではと、勝手に想像していました。そうすると、山陽先生の「ひらかな」による文面は案外少ないのではと思っていましたが、捜してみると、沢山残っています。
 母親さん思いの彼は、結構、沢山の母梅颸(ばいし)に関する歌を作っています。その歌集などを見ると漢字と同じぐらい立派な堂々としたひらかな文字が並んでいます。
 

 写真は、彼の筆によるものです。一首目は解説によると
 
  “花も見せつ もみちも見せつ わが母に
          わかれて帰る 雪ふらぬ間に”
 
 と読むのだそうです。
 
 このように、父の死後、山陽は度々京へ母を迎えて、二度吉野山、三度琵琶湖など、各所の名勝故跡を案内して、母の喜びを喜びとして感懐を沢山詠吟しています。
 これを見ると流石、山陽先生、漢字だけでなく、なかなかひらかなもうまいもんだと舌を巻いています。どうしてひらかなは書かないと言ったのでしょうかね。

 

 また、一方、高尚先生もなかなかの能筆家なのです。それなのに、どうして総社の岡崎某氏は、わざわざ山陽先生の書を所望されたのでしょうかね。
 これも、又、不思議なことです。

 まあ、それは兎も角も、この山陽の書があったからこそ、色々と山陽先生の人柄をも推察できる材料となってくれているのです。