普賢院での護摩焚きをご紹介しましたが、この寺と頼山陽との関係は、山門お側にある山陽の石碑だけはないようです。
それを証明するものは現在は何も見つかってはいないのですがないのですが、
「この普賢院の書院からお庭を見ながら、山陽先生がお酒を飲まれたということです」
と、この寺の真西院主さまがニコニコしながら言われたのを聞いた事があります。多分言い伝えとして、この寺に残っているのではと思われます。
訪れになった季節も分ってはいません。ここにあるお庭は不知火式の枯山水だそうですが、大層興味を持って眺められたというお話でした。そのときの感動を山陽はきっと何か詩に残されたのではないかと思うのですが、
「残念ながら何一つこの寺には残ってないのだ」
と、和尚さまは言われます。
見つかれば吉備津の、いや岡山の宝となるのは確かですが。
もし、山陽先生が普賢院で作られたとすれば、どんな詩になっていただろうかなと、久しぶりに唐詩選をぱらぱらと捲ってみました。こんな詩だろうかと、うかがわせるようなものあるにはあったのですが、どれも山陽流の詩ではありませんが
その中から、意味はこんなのではなかったかと想像を巡らせて、一つ『朱放』という人の詩を載せておきます。
歳月 人間(じんかん)に促(せま)る
煙霞 此の地に多し
慇懃にす 普賢院の庭(本来は竹林寺)
更に幾回(いくかい)か過(よぎ)ることを得ん
意味は、
「年月はあっという間に過ぎていくが、ここへ来ると大変空や山が美しい。ねんごろに普賢院の庭を眺めている。後何回ここへ来る事が出来ようか」
と、いうぐらいだろうと思います。
ついでですが、お酒をおのみになったという事を聞き、私の好きな詩(于武陵)をもう一つ。
君に勧む 金屈巵(黄金の盃)
満酌(なみなみに注いだお酒)辞するを須(もち)ひず
花発(ひら)いて 風雨多し
人生離別足る
それにしても、山陽は真野竹堂を通して、この吉備津を度々訪れている事は確かです。
それを証明するものは現在は何も見つかってはいないのですがないのですが、
「この普賢院の書院からお庭を見ながら、山陽先生がお酒を飲まれたということです」
と、この寺の真西院主さまがニコニコしながら言われたのを聞いた事があります。多分言い伝えとして、この寺に残っているのではと思われます。
訪れになった季節も分ってはいません。ここにあるお庭は不知火式の枯山水だそうですが、大層興味を持って眺められたというお話でした。そのときの感動を山陽はきっと何か詩に残されたのではないかと思うのですが、
「残念ながら何一つこの寺には残ってないのだ」
と、和尚さまは言われます。
見つかれば吉備津の、いや岡山の宝となるのは確かですが。
もし、山陽先生が普賢院で作られたとすれば、どんな詩になっていただろうかなと、久しぶりに唐詩選をぱらぱらと捲ってみました。こんな詩だろうかと、うかがわせるようなものあるにはあったのですが、どれも山陽流の詩ではありませんが
その中から、意味はこんなのではなかったかと想像を巡らせて、一つ『朱放』という人の詩を載せておきます。
歳月 人間(じんかん)に促(せま)る
煙霞 此の地に多し
慇懃にす 普賢院の庭(本来は竹林寺)
更に幾回(いくかい)か過(よぎ)ることを得ん
意味は、
「年月はあっという間に過ぎていくが、ここへ来ると大変空や山が美しい。ねんごろに普賢院の庭を眺めている。後何回ここへ来る事が出来ようか」
と、いうぐらいだろうと思います。
ついでですが、お酒をおのみになったという事を聞き、私の好きな詩(于武陵)をもう一つ。
君に勧む 金屈巵(黄金の盃)
満酌(なみなみに注いだお酒)辞するを須(もち)ひず
花発(ひら)いて 風雨多し
人生離別足る
それにしても、山陽は真野竹堂を通して、この吉備津を度々訪れている事は確かです。