私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

鼓山の登山道の草刈

2008-02-25 21:22:37 | Weblog
 日曜日の朝です、6時に目を覚ますと薄らと今年に入り数回目の雪景色です。どんよりとした曇り空からしきりに雪が舞い降りています。
 「今日は無いのかな」
 「そうですとも。こんな雪が降っているのに草刈なんてできるものですか。第一滑って大怪我でもしたらどうするの」
 そんな夫婦の会話は兎も角として、まずは、『鼓山を守る会』の会長平松氏に電話して確かめます。
 「雪は降っているんじゃが、このあたりの2,3人と相談したら『てえしたことはねえ。やろうじゃあねえか』ということになったのでででくれんかの」
 という返事。
 家人のぶつくさと言う声を後に、早速、草刈機を持って杉尾の山神さまに急ぎます。

 と言うのは、毎年、吉備津の老人会ら有志の人達のてによって、鼓山の登山道(標高110m、道420m)の草刈をして、三月に入ってからの吉備津保育園の子供達の登山のための道の整備をしているのです。
 毎年、市からいくらかの補助金を受けていますが、地域の人たちの願いは、そんなことは兎も角、この「鼓山」と言う名を出来うる限り永遠に残したいと言う気持ちから出発して、今日まで十数年も続けられています。

 この「鼓山」は全国的な話題として歴史の中で取り上げられることは皆無と言っていいほどだと思いますが、日本歴史の中にあって特異な戦術として知られる「高松城の水攻め」は、この鼓山を抜きにしては語ることは出来ないくらい重要な山なのです。戦いとして歴史の中に深く食い込まれ、永遠の輝きを放っても当然なお山なのですが、なぜか、今は残念な事に歴史の中から完全にで消え去ってしまって、地元の人でさえ
 「知らないよ」
 と、平然と言うぐらいに落ちぶれ果ててしまっているたった110mのお山なのです。輝きも何もあったものではありません。
 秀吉の高松城の水攻めの時、この鼓山に陣して山陽道の守りを固めてた秀吉の弟「羽柴秀長」という武将がいました。もし彼がいなかったなら、この時の勝利も勿論その後の日本統一も徳川幕府も決してありえなかっただろうといわれるぐらい、重大な歴史的事実の存在が、今では、この鼓山と同じように忘れられてしまっているのですが、この秀長という武将のはあるのです。

 こんな「秀長」の名を後世に永遠に伝えていくには、地元の幼い子達に知ってもらいのが一番良い方法だと思って、毎年吉備津地区の老人会が中心となって行っているいる事業なのです。
 園児達が登る道をきれいに整地してあげるのです。それこそ其処までしなくてはと思われるくらい徹底的に草刈をします。
 「もし子供達に怪我でもさせたら」
 と言う思いが、作業に参加している人全員からひしひしと感じられる心のこもったボランティア活動です。
 そうして半日をかけて、登りやすい愛情の見える道に仕上げているのです。
 この仕上がった道を通って園児のお父さんお母さんも一緒に登ります。
 それによってより沢山の人がこの鼓山や秀長を知ってくれ、郷土を深く愛する人になってくれることを願いながら汗を流しているのです。

 こんなボランティア事業も積極的に執り行われている吉備津なのです。
 いい郷でしょう。わが町吉備津は。