私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

目から鱗の話

2009-01-10 17:29:55 | Weblog
 この前です。我が家でも七草粥をして(これを確か私の故郷「美袋辺りでは、「なのかべぞうしい」と言っていたと思うのですが、この「ベ}はどんな意味だかわかりません。多分、正月七日目のという言葉が、{べ}、そんなふうに聞こえたので、私の耳に残っているのではないかとも思います)、一年の無病息災を祈りました。
 勿論、七草は、吉備津神社の参道付近の田圃の畦道などで探しました。決してデパートから買ってきたものではありません。念のため。「オギョウ(ハハコグサ)」と「ホトケノザ(コオニタビラコ)」も見つけることができます。小学生の孫たちと毎年摘んでいます。だから、孫たちには、何が「セリ」、何が「ナズナ」であるか、その草は七つ見つけることができると思います。
 摘んできたその七草を洗って(これは祖母の専用です)いよいよ包丁で切り刻みます。これも子供用の包丁を祖母がちゃんと用意しています。手を切らないようにと。
 さて、その七草を切る時は、当然、七草のはやし歌を歌いながら切ります。
 今までに、私の母から伝わった通りのはやし歌に従って孫たちにも切らせます。

 「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥の渡らぬ先に・・・・」
 
 と、唱えながら49(7×7)回、カタカタとまな板の上にある七草を勢いよく切っていくのです。どうしてここに「日本の鳥」が出るのか、これまではあまり気に留めないで、それがごく当たり前のおはやしことばと思いこんで、子供たちにも教えておりました。
 私が、かって、公民館でこの地域の子供たちのために、七草の行事を催したことがありました。その時も、やっぱり、このはやし言葉を教えていました。おかしいとも思っていなかったのです。今から思えば、知らないということは恐ろしいことですね。
 ところがです。
 今朝の【朝日新聞の声】の欄に、大阪府枚方市の鍵山奈美江さんが、七草粥を食べる時に「ヨシ」の箸を使うのだということと、一緒に投稿されていました。「ヨシ」は私たちの周りにはないので使ったことはないのですが。
 
 『「七草なずあん、唐土の鳥が日本の土地に、渡らぬ先に・・」と歌って七草をたたいた。』

 と、お書きになっていらっしゃるではありませんか。
 「そうか。日本の土地にか。それだと意味がよくわかる」と、目から鱗です。早速孫たちに知らせ、じいちゃんの早合点を誤りんす。

 なお、鍵山さんは
 「・・・・日本の四季の豊かさを知るためにも、長く受け継がれてきた伝統行事をこれからも大切にしていきたい」
 と、文を結んでおられます。
 張った殺したと何かぎくしゃくとした今の世の中、こんなゆとりを日本人のみんなが大切にすると、世の中はもっともっと明るくなるのではないでしょうか。
 これが「老人力」であると思います。老人は、まだまだ引っこんでばかりいないで、私たちの周りには、気をつけて見ていくと、老人でなくては活躍ができない舞台がいっぱい転がっているように思えます。自分の家庭だけでもいいのです。「いらんことばあして」と、非難ごうごうですが、積極的に自分の持っている「老人力」を発揮するよう、毎日、私は張り切っています。

 今日は吉備津神社の「えびすさま」です。例の「ささもてこい」が聞こえています。
 我が家にも「戎」がお出ましです。これも私の「いらんことばあして」の老人力です。まあ、一人楽しんでいます。
 
 
 


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