私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備津神社のお竈殿

2011-01-09 13:31:00 | Weblog

 吉備津彦命によって退治された温羅の髑髏(しゃれこうべ)が埋めてあると言い伝えられているお竈殿については、一度、」この欄で取り上げた事がありますが、それについてもう少し詳しくお話します。

 江戸の初め慶長年間(1610年頃)に早島の安原備中守知種という人によって再建されたと言われています、このお竈殿の鳴釜の神事については、その起源は詳しくは分からないのですが。室町末期頃には既に行われていたのではないかと云う人が多いのです。

 この鳴釜については、先に取り上げた藤井高尚も「松の落葉」の中で、次のように述べられています。

 吉備の国の人たちは病気の平癒のお願いや、かへりもうし(お礼参り)の時になど、神に御饌(みけ)(お供え物)を捧げんと参ってきます。すると、神官がその願主を導いて竈殿に入って拝むのです。そこには釜が2つあり、西の釜(奥にある釜)では御饌を焚き、東の釜が鳴る釜なのです。「あそめ」というおうなが二人いでて、一人は東の竈で、かれたる松葉を焚くき、今一人はそのかなへ(釜)によって、上にあるこしきの中でm升に入れた米をふり散らせば、なりとどろく。

 とお書きになっていますが、そのやり方はその当時と現代でも全く同じです。これが鳴釜神事です。高く大きく鳴ると吉で、ならなかった場合は凶なのだそうです。

 毎年、この鳴る釜の神事を氏子の皆さんが占なっていただきます。今朝も沢山ある町内から人々がお参りしておられました。我が町内でも、8時半から、先ず神殿に昇り、お祓いを受けてから、お竈殿に行って、占なっていただきました。一段と大きな釜の唸りが我々頭上を通り越して吉備の中山の中に入り込んでいました。今年も、また、平穏無事な一年になること間違いなしてす。


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