この「吉備津神社記」には、矢立の神事や松植祭の他にも正月行事としてあったと記されているものがあります。
その一つが、1月7日の「七草祭」です。
神官が「供御(くご)」(神に献さげるための食事)を献げて直会殿に行き、神楽を舞ったりしていたのだそうですが、今は廃れてしまって行われていません。供御がどのようなものであったかは詳らかではありませんが、「七草」と銘打って行われているのですから、当然、せり、なずな、おぎょう等の七草を採り集めて、粥にしたものではなかったのかと想像しています。これも、やはり御竈殿でしつらえたものであったと伝えられています。
このように種々な吉備津神社の神事は、多くの場合、御竈殿と何らかの形で深く関わりがあるようです。ということは、吉備津神社そのものが、如何してかは分からないのですが、昨日も述べたように、あの吉備の国の鬼「温羅」と深く関わっているように思われます。
なお、15日にも、昔は、「御国祭」と云うお祭りもあった記録が残ってはいますが、それらの行事は、現在、すべて姿を消して行われてはいません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます