私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

蕃山先生の最期

2010-02-22 10:18:09 | Weblog
 記録によりますと、先生の最期は元禄4年8月17日丑の刻だそうです。死因については「古河名物の瘧(おこり)」とあります。この病はマラリヤの一種で40度以上もある高い熱が続き大変苦しまれるのが普通なのですが、先生はいたって物静か我慢強いお人であられましたから、その苦しさを耐えられ、亡くなられる17日の4日前まで、薬はご自分で煎られてお飲みになられ、2、3に前まで何時も髪をきちんと結ばれていたのだそうです。
 先生の最期までを診察していた医者は
 「これ程の病にかかっていながら最期まで静かで逝った人は見たことがない」
 とまで言われています。

 葬儀は、死後3日たった20日行われ、白帷子を着せ、髪はいつもの通りに結って、太刀を入れて、茶を詰めて埋葬されたのだそうです。土をそのお棺にかぶせ、上に[息游軒墓]とだけ書かれた自然石が置かれたのだそうです。京に生まれてから73年間の波乱万丈に富んだ自分を大切にされた生涯であったのです。
 この葬儀の様子は、その当時、先生の家来であった野田勘左衛門という人が先生の弟子に話していたと言い伝えられていて、今に残っているのです。先生らしい葬儀が予想されます。

 なお、先生のその墓は、古河市大堤の鮭延寺にあるのだそうです。一度訪ねたいと思っています。この写真にある今の御墓は、蕃山先生の6世の外孫が建てたと、その玉垣に記されているのだそうです。なお、ここに見える墓石には「熊澤息游軒伯継之墓]という字が書かれてあります。最初作った自然石の墓石ではないと思われます。念のために。

     

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