私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  81 和気清麻呂⑨

2009-01-13 19:45:12 | Weblog
 もう少々清麻呂の事をお話しします。
 清麻呂の姉「広虫」は、現代では、この吉備の国でも知る人はほとんどいないと思います。地方出身の女性として歴史に残る活動をしたのです。今までは美人であったからちやほやされる程度の人はたくさん出ています。奈良期という天皇中心の男社会で目を見張るような歴史的活躍をした女性の人がいたでしょうか。
 この「和気広虫」こそが、当時の平城京の中で、自分の思いを存分に発揮し、女性でしかなしえなかった政治を行った人なのです。
 それまの歴史を振り返ってみると、天皇の思い人になったとかいう女性は吉備からは数多く出ていますが、「和気広虫」こそ、女性が政治の前面に出て活躍した人はいないのではないかと思いましす。
 例の恵美押勝【藤原仲麻呂】の乱で見せたあの素早い対応は、目を見張るばかりの驚きの歴史的事実です。
 750年代にですよ。まだ「奈良時代」の真っ最中なのですよ。
 戦争犯罪で、死罪に処せられるとされた人「375人」ですよ。
 今、世界では「たった500人が」と、いとも安易に爆撃死させられています。「ガザ」での子供たちですよ。
 ところがですよ。今から1300年も前の話ですよ。これら375人の死罪になろうかと言う人を、「広虫」は天皇に直疎して、島流しの刑にして、命を助けているのです。
 「罪を憎いん、人を憎まず」、これは民主主義の根本理念です。ヨーロッパで生まれた民主思想です。その考えが生まれる遥か遥か昔に、日本では、8世紀には、もうその民主的な考えが芽生えていたのです。それも女性からです。周りにいる人々の暮らしをいつも冷静に見つめることができる度量が備わっていたのです。
 それの基が「広虫」の行いなのです。
 この後、更に「広虫」は、飢えや病気で親を亡くして途方に暮れていた子供を、私財を投げ出して、83人の子を養子にして養育しています。
 「福祉社会と岡山」というと、直ぐ「石井十次」を思い出す人が多いと思いますが、そのルーツは、「広虫」そのものなのです。誰もが忘却の彼方に追いやってしまっているのですが。この人を忘れては福祉社会を語ることはできないぐらいの吉備が生んだ、歴史的重要人物なのです。
 
 今、困っている者を、「即」助ける。これが「広虫」の真骨頂なのです。それまでもに誰もがなしえなかった社会福祉の原点なのです。
 「今しなくてはならないことを真っ先にやる」
 これが政治だと、身を以て訴えたのではないかとと思えます。本当に誰かさんに聞かせてやりたいような話ではありませんか。
 こんな「広虫」です。道鏡事件で、一時、備後に流されてはいますが、再び、都へ帰り桓武天皇のもとで活躍しています。
 位も「従四位上」という坂上田村麻呂と同じ位を女性として授かっています。
 最後は「典蔵」という位について、朝廷の女官の最高責任者として、天皇政治を側面から支えていきます。
 だからこそ「従四位上」なのです。 

 こんな素晴らしい女性を生んだのも吉備の国なのです。日本の歴史に書き込まれた表には現れない、陰の歴史を支えた重要なる女性の一人でもあるのです。
 

 なお、「典蔵」という位は大宝令の「後宮職員令」の天皇家を支える女官の中の最高位の人です。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿