私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

あせん 42

2008-06-03 10:03:35 | Weblog
 お日様が、宋源寺の玄関の衝立障子の中の、大きな目をいっぱいに見開いて、そこに立つ人を睨みつけている怖いあの赤い達磨さんのようには、ちきれんばかりに大きくなって、それこそ道の両側にごちゃごちゃと並んでいる家並やお寺さんの見上げるばかりの大きな屋根や塔を、道端に置いてある防火小屋の屋根やポツリポツリと水玉模様のように並んでいる先ほどの夕立がこしらえた道の水溜りまの水までを、驚くような真っ赤な色に染めながら、西に傾いています。
 一方、黒雲に覆われて薄暗い怖いような色をしている遠い東の空からは、まだ時折、ごろごろと幽かに消え入りそうに轟いている雷の音が聞こえてきます。
 「明日も天気にしておくれ」と、沈みゆくお日様めがけて、子供の時に、投げ上げた赤い鼻緒の下駄が、突然に、目の中に浮んできます。「はんちゃんはどうしているやろか。はなちゃんは、としちゃんは、やっちゃんは」と、一緒に遊んだ幼友達の顔が、次々と、浮んできます。
 「いんでいかはるお日さんって、どうしてあんなにきれいなのでしゃろ。・・・・こんなお日さん見ったんは何年振りでっしゃろ?」
 久しぶりに子供の頃の気分に浸りながら道の真ん中を家路へとゆっくりと歩みます。
 「明日、何時頃行けばいいのやろう。無責任なお人?・・・・案外、あの人も、あんな手ぬぐいのことななんか、明日になればきれいに忘れてしまい、そのままになってしまうのでは」とも思うのですが、行かないのもななんだか悪いようなそんな思いも胸に浮かびます。
 その夜は、胸のときめきということではないのでしたが、今日の夕立の雨宿りの偶然やその後の夕陽の沈みかけた道を、あっという間に「明日返します」と、手ぬぐいを懐の中にぐいと押し込んで、足早に、黒い小さな包みを小脇に抱えて、それこそお日さんの中に吸い込まれるように駆け抜け、消えるように行ってしまった若い男の人のことや、あれやこれやと考える17歳の乙女の時が流れます。 


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