私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

神様へお参りしましょう(氏神氏子)

2007-10-17 08:01:47 | Weblog
 お祭りも済んで、ようやく秋の気配が、我里にも、深まりつつあります。
 お宮さんのお屋根替えも急ピッチに進行して完成間近だと聞いています。完成までに「もう一回進捗状況を見る機会を設ける」と、氏子の人も言っています。どれだけ出来たかなと、心待ちにしています。

 さて、「松の落葉」で、この氏子と氏神について、高尚先生は書かれていますので紹介します。

 『氏神は、自分達の「遠つ祖神」で、氏子は氏の祖神の子孫だ。
 最初は、里人の家々の親神を氏神として、それぞれにお祭りをしていたのが、次第に、その家々の祖神を一箇所に集めて「里の社」を作り、それを地主の神(その土地の神)=氏神とし、そして、里人皆が共通の氏子となりお祭りをするようになった。どうして家々の祖神を、里の一社に集めたのかと言うと、仏教の影響がある』
 と
  
 私事(ひとりごと);
 ここ吉備津の里では、氏神様を吉備津神社に戴き、里人総てが氏子となります。他所から移り住んだ者(そこで生まれなかった者)も、今この吉備津に住んでおる者なら誰でも氏子になれるのです。いや住んだら、即、氏子なのです。そのあたりが、他の宗教と違うところす。包容性というか許容性というか、誠におおらかで、他に見ない宗教なのです。
 自分の神様を拝みつつ他の仏やキリストなどの宗教を拝もうと一向に構わないのです。又『私は今は拝まない』と、言っても、決して、咎められもしません。一心に、これだけをただ熱心に信仰しなくても良いのです。
 本当に自由で不思議な神様です。宗教戦争なんてとんでもない事なのです。平和主義に徹底しているのです。人は総て善人なのです。戦犯だろうと極悪人だろうと、総て、人が生まれた時は神様の心を持つ善人なのです。
 そんな思想が神道の根本なのだそうです。

 神の御前で、お祓いを受けると、総ての人が「善人」になれると言われています。
 今朝も六歳の女児が、路上で刺し殺されるという痛ましい事件が報じられています。この児は、これから一杯に生きられるのに、なぜ殺されなくてはいけないのでしょうか。そんな事件が起る前に、この犯人がもし、神様の前で、お祓いを受けていたとするなら、こんな事件は起こらなかったのにと思われますが。
 
 

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