私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  75 和気清麻呂③

2009-01-05 11:41:33 | Weblog
 ちょっと間が開き過ぎたきらいもしないではないのですが、再び、和気清麻呂について述べてみます。
 前にも書いたのですが、和気清麻呂は吉備真備とほとんど同時代の吉備人です。真備の方が40歳ばかり年上です。
 二人とも孝謙天皇(称徳天皇)に仕え、奈良朝廷で活躍していました。特に、恵美押勝の乱の活躍等でその力が認められて頭角を現したのが清麻呂です。
 ちょうど孝謙天皇が重祚(同じ天皇が二度天皇になること)して称徳天皇になった頃です。天皇の病を祈祷で治癒させたことから厚い信任を得た弓削道鏡が政治を動かしていました。
 そんなある時、大宰府にいた阿曽麻呂という者がその道鏡の威勢の強いのをを見てこびへつらって
 「宇佐八幡宮の神託でございます」
 と言って、道鏡が天皇になると天下は更に太平になり、人々が安心して暮らせる平和な世の中になると、天皇に説いたのだそうです。それを聞いた天皇も、道鏡をこよなく愛していましたので、それもいいかなと思っていたのですが、そもそも帝位にかかわることです。天皇の私事にもできず、とりあえず「宇佐八幡の神託を受けてみる」ことになったのだそうです。天皇は、その宇佐八幡への使いを清麻呂の姉「広虫」に決めたのですが、その頃病気勝ちで、その任に堪えないということがわかり、その弟清麻呂に代役を務めさせることにしたのだそうです。
 天皇の曰く
 「八幡大神、夢の告げあり。汝を勅使として宇佐に遣わす。よく敬(つつしん)で神託を聞きて皈(かえ)れ」
 と。
 清麻呂は謹んでその天皇のお言葉を聞いて御前を退いたのだそうです。

 ここからがまた面白いのですが、まあ続きは明日にでも。
 
 なお、このお話は文政年間に出た「日本王代一覧」より書きました。
   
 昨年の暮れにお亡くなりになった門脇貞二先生などは、もう少し違った角度からこの事件を見ておいででした。


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