松嶋を見てその多嶋美を無視するかの如くに、ただ仙台藩主伊達政宗から「特に観覧すべしとの注意ありしに依てなり」と、しぶしぶではないにしても、彼等の日本建築に対するその美しさと言うより、誰からか云われたので見た程度の、至って他力本願的な感じの見学であったのでしょうか?「宏壮なる建築」とのみ書いています。普通なら、屋根瓦と周りの松の緑と、時はあたかも晩秋です、その木々の紅葉とが互いに映えあっておりなす艶麗な風景にその美的感覚を震わせるはずですが、此の荘厳なお寺からは彼等には聊かもそのような東洋的身美を感じさせるような物とは映らなかったのでしょう。彼等はその自然の中に漂う日本の美的空気が、きっと読めなかったのでしょう。
そこを出発して三陸海岸を進み、小さな港湾を測量しながら北上しています。大塚、湊、月浦、大原、石浜等の港を調査しながら、10月23日には雄勝についております。
そこを出発して三陸海岸を進み、小さな港湾を測量しながら北上しています。大塚、湊、月浦、大原、石浜等の港を調査しながら、10月23日には雄勝についております。