私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

会津若松地方の大地震

2011-10-18 12:04:10 | Weblog
 東北各地方の港湾の測量調査のための朱印状が秀忠から便宜されたビスカイノ達の一行は、1611年10月22日から奥州に旅立ちます。

 越ヶ谷―古河ー雀宮ー宇都宮―大田原―白河と進み、10月29日には若松に到着しています。

 此の若松藩のビスカイノに対しての饗応について聊か詳しく記してあります。   
 「・・昼の九時城に着き、甚だ鄭重に迎えられたり。旅行の事我等の赴く地方の事に付談話したる後、我等の国風に調理せる肉を出さしめ・・・」
 と、あります。此の肉料理ですが、牛の肉を食する習慣は日本にはなかたっと思いますから、多分鹿か猪の肉ではなかったのだろうかと想像しています。    
 また、この時若松は、前月の大震災の為市内の二万戸以上の家屋が倒壊しており、現在、まだその修理を行っている為に、十分に饗応が出来なとなど出来ないと話したと云うことです。

 それからこの地震に付いて、「どうして地震が起こるのだろうか」知っていたら教えてほしいと藩主蒲生秀行が聞いてきたので、ビスカイノが      
 「天に在す神が天地及び人類を造り給ひ、神陛下必要と認め給ふ時空気をして地を振動せしめ、王侯其他地上の住民をして造物主を思い出し、悪行をなせる者は改悛せしめ給ふを説きたる。」   
 と、答えたと云うのです。
 

 一七世紀初頭の科学は、あまり地震に対しての研究は進んではおらず、西洋の知識人ですら、この程度の知識しか持っていなかったんではと思われます。地震は神が必要と思われた時に空気を振動させるために引き起こされるのだと説明したのです。地が揺れ、津波が起きるのも総て神の意志であると云う地震説は、日本の地下のナマズ振動説とそんなに変わらないと思いますが。

 なおこの会津若松地方の大地震に付いて、慶長一六年八月二一日に起きたと記録に残っています。