私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ものひとつもとりださず

2011-07-29 17:55:48 | Weblog
 巴人亭一家は押し潰された家からどうにかして這い出て命は助かりますが、その後すぐ火災で、総ての物を失います。勿論、彼の持っていた書物もです。仙果先生、面白いと思ったのか巴人亭の持っていた書物の総てをご丁寧に書きとめてくれています。おかげで、当時、文人と呼ばれていた知識人は、一体、どんな書物を読んでいたのか、一人の例ですが、記録にと留めてくれているので分かります。
  
 「左伝二家注唐本十二冊、五雑俎八冊、蠅打六冊、遠州拾遺十冊、一目玉鉾六冊、路程全図一、南海道々中記一、九州図一、崑山集五冊、唐詩解頤三冊。皆焼失ぬ。いかにともすべないという。・・・・・おのが身圧つぶされたらんにくらべては、何条ことかあらん」

 とあります。巴人亭と云う人は、大層、書物の焼失を残念がっていたのですが、「己が助かっただけでも良しとしなくては」とあきらめたと云う話です。なお、ここに書かれている書物の内、「左伝」は孔子は著したと云われる中国の歴史書「春秋」の解釈書です。「五雑俎」は明末の随筆です。「蠅打」は江戸の俳諧書で、「一目玉鉾」といいのは、井原西鶴が書いた全国名所旧跡案内記です。崑山集と云うのは俳句集です。
 この時代の文人と呼ばれていた人々は、中国を始め日本各地の様子、更に俳諧・俳句まで、いろいろな方面の知識を相当幅の広く身に着けていたと云うことが分かります。特に、一目玉鉾などの旅案内記などの書物が、どうして必要だったのかわ分かりませんが、幅広い教養を示すためにというか、その人の箔を付けるためにも知っておく必要があったのかもしれませんね。勿論、中国の歴史や論語や漢詩もですが。