私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

十ばかりの坊主児

2011-07-06 11:18:05 | Weblog

 「なゐの日並」こは、なん珍しい地震の最中の出来事が次から次へと書いて有ります。そこら辺りが大変面白く、吉備とは聊かも関係ないのですが、もうしばらく、この「なゐの日並」を追ってみます。

 昨日も見てきたように、神社仏閣は不思議なのですが、その地震による壊れようが、一般の家々よりかなり少なかったり、皆無だったりしたと云うのです。その例を2,3上げて書いています。その内の一つ「神田の明神も、高き所なれどさわりなしとぞきく」と、あります。その付近の民家など壊滅状態だったにもかかわらず、「触りなし」だったと云うのです。そんな状態のお社を拝み、「大なるめぐみをよろこび申すに、今も涙さしぐみて嬉し」と書いています。たった今から150年の昔に過ぎませんが、まだまだ、神仏に対する信仰が、日本人には至って強かったと云う事が分かります。それがいまではどうでしょうか。神仏との係りは、正月と盆の行事だけのように感じられますが、どうでしょうかね。これでいいのでしょうかね。信じなくてもいいのですが、厚く敬うと云う行為、そうです信仰が、日本人の生活の中にもっとあっていいのではないでしょうか???
 まあそれは兎も角として、仙果先生その足で自宅へ向かわれます。すると、そこにも、又、大変なこの非常時にも関わらず珍しい事件に出くわします。それを次のように書いています。

 「十ばかりの袖乞の坊主児、わが手拭わすれおきしをひろひ、旦那のには侍らずやともて来る。このわらんべの志感ずるにもあまりあり。其手拭やがてあたへてもよけれど、志もどくにも似たれば、よくこそとうけ取、銭聊あたふるに、いと嬉しとおしいだく。後におもふに、もせめて当百の一ひらもあたふべかりしをと、心はづかしくほいなし。・・・・」

  このような非常の時に、まだ年端も行かない年少の少年でしょうか、たった手拭1枚ですが、人の持つ善意と云うか優しさに出合っています。そんな善意は、現代でもまだ生きていたのです。被害にあったのはお互い様だ。助け合うのが人として当たり前の行為だと、懸命に働いた多くの人がいたと新聞等で報じっれていました。それが日本の美徳だと報じた外国のメディアも沢山あったと聞いています。
 この仙果先生の書かれているように、このような行為は今回だけではありません、神戸の時も、150年も前の江戸でも平然と行われていたのです。今更大仰に取り上げられるような美徳でもなんでもありません、日本人なら普通の人が普通に持つ心であるのだと思いました。どうでしょうか。ご感想をお知らせいただければと思います。宜しく。