私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

 江戸市民の信仰心

2011-07-22 09:09:14 | Weblog
 地震発生後九日目にして、ようやく落ち着きが江戸の町にも見え始めます。「おとつい」とありますから二日前より、家主(地ぬし)が雇工を使って、地震で危うくなった所を仮に直したのだそうです。その様子を

 「二階ねだの、おちかゝるをつくろはず。すこしはさがりたれど、ふみても危げなきばかりになりぬれば、心づよくぞおもふ。入口は、柱かたむき、戸はづれてたちがたし。ただおしつけておくなり。」

 このようにして九日振りに我が家の中に寝ることが出来ます。その時、改めに、天井などを見まわしながら思ったのでしょうか、地震の時はこのようにすればよかったと、今回の地震を反省して記しています。

 「按ずるに圧されて死ぬよりは、かけ出して物にうたれつぶされたるが多き。おされたるは聊下にものあれば、その間(ひま)あるをもて十に八つはしなず。かかれば箱火鉢本箱などだにあらば、むなぎ、うつはりおちたりとも即死はせじ。況んや、たんす小戸棚などあらば、外ににげ出て、瓦、かべつちなどうちつけられたらんに勝るべし。」

 と書いて、地震の時は、そのゆれが収まるまでは、むやみやたらと外に飛び出すのはよくない事で、箱などの陰に隠れてじっとしているのが一番いいだと教えているのです。現在でも、その地震対策が一番手早い事だと学校などでもそう教えられていると云うことです。

 なお、これは仙果先生の家だけで行われたと云う事でないのでしょうが、家にどうにか住む事が出来るようになります。そうなると、先ず、人々が行うのが、神棚や仏壇を清めて所定の所に祭りお酒やお餅などを供え、御燈明を奉ることです。それまでは、何時、余震が起きるか分からず、火災予防のために御燈明は奉ることを、心ならずも、遠慮していたのですが、今日からやっとそれが可能になったと云うのでしょうか、本来の生活に戻った嬉しさがこの御燈明の中に現われているように思われます。また、此の事は、それだけ、江戸市民の神仏に対する信仰心の深さを物語るのものです。