「そのつよくふりし間もはづかにて、たとへばたばこ二服も吸うほどといわまし。」
この間、それぞれ人々は自分の家の内にてその恐怖と闘いながら過ごしたと思われますが、一端、地震の大揺れが収まると人々は大道に飛び出してきて、先ずする事は、いかなる場合でもあ同じであると思われるのですが、手を取り合って、また、大仰に抱き合ってその生存を喜び合うのが、時を問わず同じです。
「・・・・その余あたりの人々もてさわぎ、嬉しおそろしという声かまびすし。後々はともかくも、まず平安に大難をのがれたるを互いによろこぶ」」
なにはともあれ、お互いに命が助かった事をまず確かめ合い、それから、話が、此の地震の恐ろしかったことについての話になり、泣く者あり、笑う者あり、てんでに、つい先ほど、自分たちが体験した恐ろしさに付いて、聞いてくれる者がいようがどうしようがおかまいなく、じぶんかってにてんでに何時止む事もないほど話合っている様子がよく分かります。何か喋っていなくては自分自身が落ち着かないようなん気分になってお喋れが続きます。それか「かまびすし」です。そして、それが一段落してから、というより、心に余裕をが出来てから、再び、また思い出したようにお互いの無事を喜び合っているのです。いついかなる時代であろうと世界上どこでも同じ光景が目にする事がで着るのではと思われます。
このような会話が出来るのが、又、江戸の一般庶民の社会なのです。向こう三軒両隣の意識で、江戸期の社会構造全体を物語る事が出来るであるような記事であると思われます。
仙果さんは、その時に集まった御近所の人たちのそれらの人々の名前をいちいち挙げています。「松屋の父子、三河屋惣吉、鼻緒屋夫婦」などと。そこら辺りにも江戸期の社会構造を知る上でも、貴重な資料となるのではないでしょうか。