「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震(ない)なりけりとこそ覚え侍りしか」と、長明はその「方丈記」に書き記しています。その恐ろしさの実例として、次のような痛ましい事例を書き綴っています。
ある武士の6つ7つの子供が、屋根の着いた土塀の下で、ままごとか何かをして遊んでいた時、突然に、その土塀が崩れ、下敷きになって押し潰されてしまいました。その子供は
「二つの目など一寸ばかりづつうち出だされたるを、父母かかえて、声を惜しまず悲しみあひて侍りしこそ、あわれに、かなしく見侍りしか。子のかなしみには、たけきものも恥を忘れけりと覚えて、いとほしく、ことわりかなとぞ見侍りし」
と。
なお、此の地震については詳しい記録も残されております。それによると、元暦二年(1185)の夏に起き、「文治京都地震」と呼ばれており、多数の死者が出て、宇治橋なども崩れ落ちたと当時の歴史書に書かれています。(ちなみに震度は7.4)
長明が書いているこの幼子の惨たらしい死様も、その時の犠牲者の一人であったらしいのです。