私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

くろひめ塚の周りを散策しては

2011-02-27 10:05:25 | Weblog

 地図を広げて見て分かったのですが、くろひめ塚・国分寺・国分尼寺辺り一帯は、旧山手村「宿」と呼ばれているのだそうです。どうしてこの地域が「宿」なのでしょうか?。この辺り一帯を散策していると、そんな気ががしてきました。そこら辺りの人にそのいわれについて2,3人に尋ねてみたのですが、みんな口をそろえたように
 「そげんなこたあしらんでー」
 と、けんもほろろです。

 こうもり塚の石室に入って写真を撮り、さらに、古墳の上にまで歩を進めます。古事記にある黒日売と仁徳天皇の話を思いながら、ぐるりひと回り、辺りの景色を写真機の中に取り込みます。そして、そこからおりて、この古墳の周りもぐるっと廻りました。その道の左右の畑には、多分、観光用だと思われるのですが「菜の花」がたくさん植えてあります。あの「山縣に蒔ける菘菜も 吉備人と・・・・」と歌った仁徳天皇の心を慮って植えているのかもしれないと思いながら、そこから国分寺の五重塔の風景を写真に収めます。その時、何とはなしに、ひょっとして、という思いが浮かんできました。
 それは、仁徳天皇の吉備に滞在なさったた時に作られた仮の御所、そうです。お宿があの辺りにあったのではないかと思えたのです。そんなことがあるもんかと、お笑いになるかもしれませんが、敢て、書いてみます。そのお泊りりになった所という意味で「御宿」。それが、いつのまにかに「宿」になったのではと思いついたのです。そこに、8世紀になって、国分寺が建てられたのかなとも。

 そんなんことはどうでもいいのですが。これから春本番です。この辺り一帯を、のんびりと散策するのはいかがなものでしょうか。何となく心をのどこかにする「まほろば」的な気分に誘ってくれます。私のお勧めする吉備路の真髄です。ぜひ、お尋ねして下さい。