二人の間には、いよいよ別れの時が訪れます。天皇は、酒津の港から倭へ向かう西風を利用して船出していかれます。その出船を見送りながら詠んだ黒日売の歌です。
● 「倭辺に 西風吹き上げて 雲離れ 退り居りとも 我忘れめや」
「退り居りとも」。これを本文では「曾岐袁理登母」<ソキオリトモ>と、書いています。離れ遠ざかるという意味だそうです。
● 「倭辺に 行くは誰が夫 隠水の下よ延へつつ 行くは誰が夫」。
「下よ延へつつ」を「志多用波閇都々」<したよはへつつ>で、「忍ぶようにして」という意味です。倭に帰って行かれる天皇に対して「誰が夫」とはどうしてでしょうか。また、忍ぶようにして帰られたのはどうしてでしょうか。なお、「用」は「由」で、「従」という意味です。なお、この<したよはへ>を、下品に、「下婚」<シタヨバヒ>の意味として捉えた人もいるとかや???
この2首には、どう見ても、恋しいお方と別れなければならない悲しみみたいものは何も感じられません。黒日売にとっては、厄介払いが出来て、何か清々した気分になっているように思わるのですが、私だけでしょうか???よほど大后の妬みが恐ろしかったという事を強調したのかもしれませんが。それとも、此の生まれ故郷の山方がよほど気に入ったのかもしれません。この地から、二度と離れたくなかったという思いがあったのでしょうかね。そうでなかったなら「誰が夫」なんて言葉は使いっこないと思うのですが。
なお、この歌の意味を、宣長は
「倭辺にお急いでお帰りになって行く天皇に対して、あわれと思う意味が含まれており、いとど別れ奉る情(こころ)深い」
と、書いています。
私は、以前にも、このブログに「黒日売」について書いています。それを読み返してみると、今日、書いた黒日売のものより幾分違った意味に捉えて書いています。浅才を嘆かずにはおれません。