私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「摩佐豆古和芸毛」。この言葉にカチンと来た石日売命

2011-02-07 19:46:33 | Weblog

  話はとんでもない所に飛んでしまったのですが、もとの黒日売の話に戻ります。

 さて、仁徳天皇に見染められた黒日売は、その大后石日売命のあまりにも激しいその嫉妬を恐れて、大急ぎで吉備の国に船で逃げ帰ります。この黒日売は、前にも説明したのですが、吉備国海部直の娘でしたから、父に依頼してでしょうか船を難波津まで廻してもらい、それに乗って帰るのです。その黒日売を、仁徳は、宮殿の高台に上って人知れず見送るのです。よほど別れが切なかったのでしょうか、天皇は歌まで歌って別れを悲しまれるのです。その時に詠った歌の中に有るのが「摩佐豆古和芸毛」です。この言葉が我が背夫の口から発せられたのを聞いて、皇后である石日売(いわのひめ)は血が頭に上ります。
 
 「摩佐豆古」は「まさつこ」と読みます。これについて、宣長は古事記伝の中で詳しく説明していますが、それはちょいと省きますが、要するに、「わが愛しい愛するする顔も美しい心もきれいな日本一のかわいい、今、私が一番愛している黒日売よ」と、云うぐらいの意味らしいのです。そして、この歌の意味は
 「そんな素晴らしい愛し子が、私をここに置いておいて、どうしてそんなに急いで吉備の国へ帰るのか。一人ここに留まる私の気持ちを察してほしい。愛しい黒日売よ」
 と、云うぐらいになります。
 そのような歌を歌いながら天皇は黒日売の乗った船が難波津から出て行くのを侘びしく見送るのでした。

 天皇です。強引にでも、どうして引き留めなかったのという疑問も起りますが、大変な不思議な話ですよね。それほどの恐妻家の典型であったのかもしれませんね。また、此の話、仁徳天皇の業績の第2番目に出ているのですよ。これも驚くべき事柄であると思われるのですが。

 念のため、その歌は、
 「淤岐幣邇波 袁夫泥都羅々玖 久漏邪夜能 摩佐豆古和芸毛 玖邇幣玖陀良須」(おきへには をぶねつららく くろざきの まさづこわぎも くにへくだらす)と書かれています。