私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  155 藤井高雅の書簡③-5

2009-05-05 19:38:28 | Weblog
 藤井高雅は、紀淡海峡に暗礁を築く計画を岡山藩、徳島藩、紀州藩の要人などに伝え計画実行を嘆願し、賛同を得ていたようです。更に、高雅は朝廷方の尊王攘夷派の人にも逢って、この暗礁のための建白書を朝廷に提出しており、この建白は採用され実行に移されようとしたのです。

 6月24日にその母「喜知」と子「紀一郎」に宛てた手紙には
 長州で合戦(6月1日)があり(米仏商船を関門海峡で長州が攻撃したために起きた戦い;文久3年)、そのための朝廷からの勅使(外国船攻撃に対すると朝廷からの御礼の使者)が板倉宿を通るので、宮内あたりもなんとなく落ち着かないことだろうと書いています。
 どうして朝廷から、長州の外国船の攻撃に対して御礼を出すのかよく分かりませんが、こんなことがあったということがこの手紙からも分かります。
 こんな歴史の片隅にあるようなことまでもこの手紙は語ってくれています。さらに、次のような歴史的に見ても珍しい事実も知らせてくれています。

 「右之大変も有之位之時節に米価追々下落、是は不思議之事に御座候」
 幕末の日本にあって、今までに誰もが経験したことがなかったような激しい情勢不安の中にあったにもかかわらず、不思議なことに米価が下落したというのです。そのあたりの当時の日本の経済状態が不明なのでなんとも言えませんが一般庶民にとって大変ありがたいことではなかったかと思われます。高雅も「不思議之事」と書いています。この手紙を高雅が書いたのは6月ですから豊作による下落とは考えられません。どうしてでしょうかね。信じられないような歴史的事実があったのです。経済学の常識からはみ出たような現象だったのでしょうか?