私の町 吉備津

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卑弥呼は吉備にいたのかも

2009-05-29 18:42:29 | Weblog
 今朝の新聞によると、奈良県の箸墓古墳が築造されたのは240年頃だということが判明して卑弥呼の死亡期と合致して、邪馬台国の大和説に大きな影響を与えたと、大きく報道されていました。

 そこで。此の箸墓古墳についてちょっと書いてみます。

 この箸墓古墳こそ、邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓だと強く信じている学者もいるようですが。この墓からは、又、吉備の国にしか見られない「特殊器台」が出土しています。
 吉備地方にしかない特殊器台が箸墓古墳にあるというのも不思議な歴史的な事実なのです。
 此のことから類推して、もしかして、卑弥呼も、最初、吉備の国に住んでいたのではないかという疑問が浮かび上がってきます。何らかの関係で、大和に移動して、「邪馬台国」を造る前に、一時、「吉備王国」にいたとではという考えも生まれてくるのです。
 なお、一方、この箸墓古墳に祀られているのは孝霊天皇の皇女「倭迹々日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)」であるという説もあります。この姫命の弟君が我;吉備津彦命であらせられるのです。
 吉備津神社の中でただ一つ南向きに立っているお宮「本宮社」に、この倭迹々日百襲姫命も孝霊天皇も母親の阿禮比売命も当然の祭りされています。

 このように見てくると、邪馬台国と吉備が何となく強い繋がりがあるように思われます。
 なお、吉備の中山にある前方後円墳の矢藤治山古墳がありますが、ここから出土した特殊器台が箸墓古墳之それとよく似ていると言われています。築造も大体同じ時期(3世紀の初め頃。今日の新聞では250年頃)だということで、ここからもまた卑弥呼と吉備との関係が取り立たされているのだそうです。