私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

山陽道一の吉備津のさくら

2008-03-30 10:15:59 | Weblog
 28日に開花したたった一輪だけの桜の花びらは、一日経つともうこんなにと思うくらいに沢山の花びらがを覗かせています。

 「歳月は人を待たず」です。人の思惑など、どうでもいいのです。己の時に従って確実にしかも自由に自分の生を、恰も自分の意識のごとくに操りながら生きています。桜の木にとっては、直ぐに散ろうとどうであろうとそんなことにはお構いなしのはずです。それが桜自身の当然の本来の生であるのです。
 が、その桜の持つ「ぱっと咲いてぱっと散る」という「あっけなさ」「儚さ」という現象を、人の持つ無常の感情と合致させ、自分を桜の木と置き換えて、本当は自分が歎き悲しんでいるにも拘らずさも、桜が歎いているだろうなどという勝手な解釈をしながら、多くの日本人は昔からこの春の桜の花びらに一喜一憂したのです。
 「のどけからまし」なんてこころは凡人には分らないのですが、この二日間の桜の変わりようを見るだけで、本当に『自然って素晴しいいものだ』という心が自然に湧きあがるようです。

 さて、我町 吉備津のとっておきの桜をお見せします。
 吉備津神社の下にある竜神池の中島(宇賀神社の社の傍)にある一本の枝垂桜です。山陽道一の桜だといってもいいと思います。日本でも指折り数えられる桜の風景です。今が見ごろです。4月の3,4日ごろまでは素敵なさくらの風景をあなたの心に刻み込んでくれます。これが、即ち「のどけからまし」の風景です。説明も何も要りません。池に写った絵をお見せします。
 

 最後に、古今集の小野篁の歌を。

   水の面に しづく花の色 さやかにも
          君はみかげの おもほゆるかな

 もう二、三首
   ひさかたの 光のどけき 春の日に
          しづ心なく 花の散るらむ     紀友則
   花見れば そのいはれとは なけれども
          心のうちぞ 苦しかりける     西行法師
   入相の 鐘はさくらの 何なれや
          音するなへに 散り乱るらん    藤井高尚

 友則や高尚の歌は兎も角として、西行の、桜を見ると心が自然と苦しくなるとは一体何なんだろうかと、このしだれ桜を見て、毎年、心を騒がせています。