私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

帯にせる 細谷川

2008-03-21 08:42:02 | Weblog
 「帯にせる」という言葉聞いたことがありますか。

 吉備の国が仁明天皇の大嘗祭のための主基(すき)になった時の(3月1日の鼓山を詠んだ歌;参照)吉備の国の風俗歌として古今和歌集に取り上げられている、

 真金ふく 吉備の中山 帯にせる
          細谷川の 音のさやけさ
 
 と、言う歌の中に見えるのです。

 昨日のこの欄に、「回廊を下って一番南にある細谷川まで枝を伸ばした桜を私の標準木としている」と記したのですが、早速メール仲間のお節介さんよりお小言を頂戴しました。

 「細谷川と言う川は、備中と備前の境を流れている福田海のほとりを流れている谷川で、江戸時代の古地図にもそう書き込まれている。だから、吉備津神社の南側を流れている谷川は細谷川ではない。
 弘化年間に、石州の人、野之口何某が『吉備中山細谷川古跡』と言う石碑を建てているが、それがそもそもの誤りなのだ。
 お前もそこら辺りを勘違いして、あの川を細谷川といっている。誠にけしからん事だ。間違っている訂正すべきだ」
 と、厳しくおしかりを受けました。

 そうかな。それでいいのかなと、再度、改めて古今集を取り出して読んでみました。
 「帯にせる」と言う字がどうも以前から気になって仕方がありませんでした。
 訳者の窪田章一郎先生の解釈によりますと、帯のように山をぐるっと廻っていると言う意味だそうです。
 そうすると、この細谷川が吉備の中山をぐるっと廻ってと言う事になり、お節介さんが言うように、備中を備前の国境を流れる細谷川だと一直線に流れており、決して中山を廻っているわけではありません。
 だから、私の解釈では、この中山の両側を流れる二つの谷川を総合して細谷川と言って、恰も両方の谷川を一つの川のように思って詠んだのではないでしょうか。
 そう考えると、私が言った細谷川だっていいのではないかと思いますが、どうでしょう。